2026年のはじめに日経BPから出版された『実践フューチャー・デザイン』(西條著)を3回にわたってご紹介しましょう。
第1回 タイム・マシンに乗った職員たち― フューチャー・デザインとは何か
65歳の自分が、今の自分を叱る
岩手県矢巾町役場の高橋雅明さんは、当時85キロの体重が気になりながらも、忙しさにまぎれて何年も過ごしていました。きっかけは、お父さんが体調を崩されたこと。ふと、定年を迎える65歳の自分をリアルに想像してみたのだそうです。
見えてきたのは、体重は90キロを超え、階段が昇れずエレベーターばかり。座っているだけでも息が苦しく、不機嫌で家族とはケンカばかり。病院通いで医療費もかさむ―。「早く減量に取り組んでいれば」。そう後悔したのは、未来の高橋さんでした。一念発起し、半年後には約65キロ。今も快適に過ごしていらっしゃいます。
私たちも日々、後悔はします。ただ、たいていは「食べ過ぎた」「飲み過ぎた」というやってしまったことへの後悔で、過ぎたことは変えられず、下手をすると諦めにつながります。一方、高橋さんが感じたのは、未来の自分によるやらなかったことへの後悔でした。心理学でも、人は人生を振り返るとき「しなかったこと」を強く後悔すると知られています。
つまり、視点を未来に置くだけで、後悔の質が変わり、今日の行動が変わるのです。これがフューチャー・デザイン(Future Design、以下FD)の出発点です。
集会所の「取り壊し反対」が、笑顔に変わる
自治体の現場では、これがどう効くのでしょうか。本書には、ある地区の集会所の話が出てきます。老朽化した集会所の修繕を市に求めたところ、「お金がないので取り壊しては」と言われてしまう。持ち帰れば「とんでもない」となり、話は八方ふさがりに。心当たりのある方は多いでしょう。
こうした「今」に軸足を置いた話し合いを、本書はプレゼント・デザインと呼びます。現状把握には有効ですが、目先の利益やポジションに縛られ、良い案が出ません。
そこで、参加者を2050年へ連れて行き、「人々はどのように幸せに暮らしていますか」と尋ねます。仮想将来人になってもらうのです。すると―「うちの中学校は空き教室ができているらしい。そこを使おう。子や孫にも会えるし、先生の手伝いもできる」といった発言が飛び出します。
面白いのは、話し合いのなかで「生活空間」が自然に広がっていくことです。集会所という建物が議論に占める割合はどんどん小さくなり、話題は地域の人々のつながりや健康へ移ります。すると、前回「取り壊し反対」と大声を上げていた方も、まず自分の視野が狭かったことに気づき、次に周りも同じだと気づいて、自然と笑顔になるのです。FDは、いわば「ケンカをしないやり方」でもあります。
「将来可能性」という、眠っている力
なぜこうなるのでしょうか。本書は、私たちが本来持つ将来可能性(futurability)―目先の利益を犠牲にしてでも、将来世代のしあわせをめざすことで、今の自分がしあわせを感じる能力―に注目します。京都府宇治市は広報紙で「子や孫のためにした行動が自分を幸せにする。その気持ちを将来に生きる人々にも持てれば」と、やさしく言い換えています。
そして本書の核心は、市場・民主制・科学技術という近代社会の三本柱には、将来世代への配慮が構造的に欠けているという指摘です。だからこそ、それを補う新しい仕組みが必要です。それがFDだ、というわけです。
28%が、60%になった
「気分の問題では?」と思われるかもしれません。本書では被験者実験のデータを示しています。三人一組でAかBかを選ぶゲーム。Aは高額ですが、選ぶと次の世代の取り分が減る。Bなら次世代は今の世代と同じ。これが何世代も続きます。
日本での結果、持続可能なBを選んだ世代は28%。ところが、三人のうち一人に「自分のためでなく、将来世代を代表して交渉してください」と頼むだけで、Bを選ぶ世代は60%へ、二倍以上に跳ね上がったのです。仮想将来人は多数決では負けうる一人にすぎません。それでもこれだけ変わるのです。人はそこまで捨てたものではないようです。
このアイデアの源は、七世代先を見据えて意思決定をしていた北米の先住民イロコイ(ハウデノサニー)にあります。次回は、この考え方が実際の町でどう花開いたのかを見ていきましょう。


