第3回「寺院における新型コロナウイルスによる影響とその対応に関する調査」②

著者
大正大学 地域構想研究所 研究員
小川 有閑

依然変わらぬ人を集めることの戸惑い

 前回は葬儀・法要の小規模化、簡略化の流れが進んでいることを3回の調査結果から指摘した。今回は寺院関係者が檀信徒から受ける相談内容、寺院関係者が抱える不安などについて報告する。

 まず、檀信徒から法要に関してどのような相談を受けているか、第2回と第3回を比較してみたい。最も高い割合を示すのが、「法要の規模について」。1年が経っても、その数値はほぼ変わっていない。感染状況の改善が見られないなか、施主として親族をどこまで招くべきか、また、その人数が妥当なのかどうかを迷い、多くの檀信徒が寺院に相談をしていることが想像できる。人が集まる法要を主催する立場の困惑が推察される。一方、「法要の延期・中止」は第3回でも以前として57%という数値ではあるが、第2回と比べると16%の低下が見られ、感染者数が多いなかでも法要の実施自体は徐々に戻りつつあるように思われる。

会いたいけれど会えない

 第3回では、檀信徒からどのような生活上の悩みを相談されているかという質問を加えている。第2回では同様の質問に対して自由記述による回答を求めた。その回答群から選択肢を抽出した結果が以下のグラフである。全国と首都圏での比較をしてみたが、どちらも「入所・入院している家族と会えない」が最も高い数値だ。コロナ対策のため、医療機関、介護施設は面会が禁じられてしまい、家族の様子が分からない不安、患者・入所者が寂しい思いをしているのではないかというもどかしさを抱えた人たちが多いということだ。

 「遠方に住む家族と会えない」で、全国と首都圏に10%以上の差が生じているのは、首都圏と地方との県外移動への意識の差のようにも思われる。本調査とは別の研究で、現在、東京在住者と地方在住者にコロナ禍での生活の変化について聞き取り調査を行っているのだが、地方の方が東京よりも、周囲の目を気にしての県外移動への抑制が働きやすく、また、県外からの来訪者に対しての拒否感も強いように感じられる。そのために、会いたいけれど会えないというジレンマを抱えやすいのではないだろうか。

寺院側の止まぬ不安

 葬儀や法要の小規模化・簡略化が進む中、寺院関係者がどのようなことに不安を抱いているのかを尋ねた結果を第2回、第3回で比較したものが、以下のグラフである。1年が経っても、大きな増減は見られない。唯一大幅減となっているのは、「感染対策について」で、これは時間の経過ととも一定の知識を各寺院関係者が得られたということだろう。

 高い数値を示すものとしては、「年回法要の減少について」「寺院収入の減少について」「葬送儀礼の簡素化の進展について」「信仰の不継承、寺離れについて」があげられる。コロナ禍によって、葬送儀礼の簡素化・年回法要の減少が生じ、短期的には寺院収入の減少が、長期的には信仰の不継承・寺離れが懸念されるといういずれも相互に関連する項目と言ってよいだろう。

危機からの変革になるか

 寺院にとっては悲観的な結果が多く見られたものの、コロナ禍を新しい一歩を踏み出したり、寺院のあり方を見直したりする契機にするという声も少なくなかった。最後にそのような声を紹介したい。第3回の「感染拡大以降、寺院として新しく始めたことはありますか」という問に対して、自由回答が131件、最も多いものは「オンライン対応」50件であったが、2番目に多かったのは、「地域活動、場作り」の20件であった。

・お墓参りの際に、いつもは寺務所に寄らなかったお檀家が、立ち寄って話していくようになった。コロナ禍で一人世帯高齢者は話し相手がいなくなってしまったことが原因と思われるが、今後も気楽に立ち寄ってお話ししていける場所作りをしていきたい。
・地域の人たちの青空市を月一回開催している。その延長線で青空市を活用した子ども食堂を長期休暇中に実施している。
・お檀家様や地域の皆様から食料品を集めて、貧困家庭に配布する活動をはじめた。
・「まちの保健室&介護者カフェ」、「寺子屋」などの居場所づくりを開始しました。コロナ禍であったことは、偶然ではありますが、「コロナ禍だからこそ」とその意味づけを強くし、また開催意義を感じる機会もあります。

 気楽に会えない時だからこそ、人と人が交流する場所を寺院が提供しようという機運が感じられる回答の数々である。また、第3回調査の最後に「自由に一言」という自由記述欄を設けたところ、72件の回答があり、コロナが寺院・僧侶の在り方を再考するきっかけとなったというものが目立った。

・コロナの影響から、世の中の流れが10年・20年早まったように感じる。これからは伝統にとらわれるのではなく、革新もまた必要なのだろう。ただし、宗教法人という性質上、他の企業に比べ変化を実施しにくいことは否めない。伝統を継承しながら、いかに世の中の革新に対応していくか、これからは住職の人格と力量が試されることになるだろう。「こうすることが当たり前」「こうしておけばよい」という甘えた考えでは、所属寺院を潰しかねないだろう。
・「つらい気持ちに目を向け、寄り添う」、それぞれのお寺の形でそれができれば世の中はより良い方向へ向かうと思います。私自身もできることを考えて前に進めればと思います。

 危機意識は新しい変革を生むエネルギーともなる。コロナ禍によって、これまでの「当たり前」の葬送儀礼が変化し、寺檀関係の行く末も悲観する声が多いものの、地域との関わり、檀信徒との関わりを見直す寺院が増えていくことを期待したい。

 

2022.07.01