ホーチミンの街角から時代の流れを読み解く

著者
大正大学 地域創生学部 地域創生学科 准教授
金子 洋二

今年の3月にベトナム最大の経済都市ホーチミンを訪れた。
筆者が所属する国際NGO・新潟国際ボランティアセンターの活動の一環で、ベトナムの農村部からホーチミンの大学に進学し、経済的に苦しい事情を持つ大学生向けに奨学金を交付することが主たる目的である。この奨学金事業は1998年に始まり、これまでに1,400人以上の学生たちが活用してきた。2015年からは日本のサポーター(寄付者)と学生を1対1でつなぎ、現地で行う授与式への参加や、メール・SNS等での普段からの交流を支援することにより、顔の見える関係の構築を草の根のレベルで進めている。近年は日本の企業がサポーターとして寄付を申し出るケースも増えており、両国の経済交流に一役を買う事業にもなっている。
こうした活動の一環として、現地を訪問した際に奨学生たちとまちあるきを行っている。単なる観光ではなく、地域の歴史や文化、産業、地理、人々の意識などに注意を向けながら街を歩くと、その地域への理解が深まることはもちろん、世界規模で起きている社会の変化を肌で感じると共に、まちあるきの記録を分析することにより、時代の流れを読み解く重要な資料となることを実感している。今回のまちあるきでは、ドイツ人社会学者ハルトムート・ローザが加速理論で指摘する3つの現象:1)技術の進歩の加速、2)社会変動の加速、3)生活テンポの加速と、それらが引き起こす「個人の阻害」や「統治機能の崩壊」といった課題を緩和する要素を街の中に探してみた。具体的に設定した視点は以下の8つである。

視点1. ゆっくりと時間をかけることを愉しむもの
視点2. 敢えて効率的ではないもの
視点3. 競争を意識していないもの
視点4. 政府・行政の硬直性を緩和するもの
視点5. 一般市民の善意の助け合いによって成り立っているもの
視点6. 均質的・量産的ではなく、草の根の価値やニーズに対応しているもの
視点7. グローバリズム(広域的)よりもコミュニティシップ(隣接的)を優先するもの
視点8. 環境への負荷が小さいもの

まちあるきは滞在期間(2026/3/6~12)の毎日行い、その日移動したエリアの中で上記8つの要素を含むものを記録し、その記録データ66件(約11,000字)を集約して分析を行った。その結果、以下のような知見を得ることができた。

視点1 市街地にはアート作品を展示販売するギャラリーが多く、時間をたっぷりとかけた細密な作品が多い。伝統工芸も盛んで、古くは仏像や仏具、近代からは漆、鋳造、竹細工、銀細工などの精緻な工芸品が重要な産業を形成している。また、人口集中と都市圏の拡大により人々の移動にはより多くの時間を要している。

視点2 植民地開発(都市計画やプランテーション)とアジア的無秩序が混在することによる交通インフラ・買い物・コミュニティ形成面における非効率が見て取れる。また、現地の食文化では会食の際に食べ物を残すことがマナーとされており、効率的とは言えない。

視点3 社会主義国であるベトナムは、競争とは一線を画す価値観が根付いている。都市開発、人々の働き方、観光客と地元住民の間の「二重経済」などにそうした影響を見て取ることができる。

視点4 社会主義政府による計画経済が行われる一方で、巨大企業グループによる民間主導の開発も目覚ましい。また、小規模事業者が無秩序に市街地を形成していく様子や、NPOに近い動きをする仏教寺院や政府外郭団体の活躍にも行政の硬直性を補う働きが認められる。

視点5 諸外国との紛争を繰り返してきた歴史から、自国民同士や仲間同士の助け合いの意識は強い。歴史の負の部分は生活困窮者や障がい者の多さに表れているが、そうした「困っている人々」に手を差し伸べる精神も根付いている。

視点6 仏教思想や「解放と統一」の精神をベースとした地元文化へのこだわりは街の至る処に表れている。代表的なものに、盛大な旧正月(テト)のお祝い、手軽に食べられるローカルフード、民族衣装アオザイの普及などが挙げられる。

視点7 ベトナムの人々は家族やコミュニティを何よりも大切にし、社交性が高い。学校では隣人や地域社会への貢献が重点的に教えられ、市中の公園はまるでコミュニティセンターのように様々なグループが集っている。

視点8 電気自動車タクシーや電動バス、道端に点在する充電コーナーなどを確認できた。メトロの延伸による環境負荷の軽減効果にも期待が持てる。地産地消やリサイクル食器の使用も一般的である。また、伝統的な水上集落やコロニアル建築の有効活用など、大規模インフラのリユースが盛んである。

国際女性の日のアオザイフェスティバル

コロニアル建築を活用した中央郵便局

この調査では、ローザが指摘する「加速」の弊害に対抗する要素として、減速、非効率、非競争のサインを人々の暮らしや文化、経済活動の中から見出すと共に、市民セクターの存在にも一定の役割を見出すことができたと考える。海外での同様の調査は3か所目となるが、今後も国内外でデータを蓄積し、「まちあるき調査」の有効性を検証していきたい。

繁華街の路地裏には地元住民向けの様々な商店が

2026.06.01