韓国の出生率低下を考える

著者
大正大学地域構想研究所 客員教授
小峰 隆夫

2月末のある日の午後、NHKから電話があり、「韓国の出生率が発表されたので、これについて今晩9時からのニュースウォッチ9にビデオ出演してコメントして欲しい」という依頼があった。
当日発表された内容は次の通りだ。韓国統計庁は2月26日、2024年の合計特殊出生率(1人の女性が産む平均子供数)が0.75だったと発表した。過去最低だった2023年の0.72からは0.03ポイント上昇したものの、依然としてOECD(経済協力開発機構)の加盟国の中では、最も低い水準にとどまっている。
さて、NHKがインタビューで私に質問しようとしていたことは、「日本にとって韓国の状況は他人事か否か」ということだった。ご覧になった方もいるかもしれないが、番組での私の発言は「先進国の中でも、日本と韓国は出生率が非常に低いという点で共通している。注目すべきは、韓国は20年くらい前から強力な少子化対策を取ってきたにもかかわらず、少子化の波を押しとどめることができなかったことである。その辺は日本も少子化対策を講じていく際によく考える必要がある」というものだった。
少し解説すると、韓国政府は2005年に「低出産・高齢社会基本計画」を作成し、以後、①保育の無償化、②児童関連手当の拡大、③学校給食の無償化、④高校教育の無償化、⑤大学教育奨学金制度の拡充と入学金の廃止、⑥育児休業の対象となる子供の対象年齢の拡大、⑦法定労働時間の短縮による長時間労働の是正といった措置がとられてきた。にもかかわらず、少子化はなかなか歯止めがかからなかったのである。問題は、日本ではこれから同様の少子化対策を進めようとしていることなのだ。この点についての私の考えは次のようなものだ。
日本の出生率の状況から見ても、もはやこれを2以上に引き上げていくことは不可能である。世の中には「人口減少は国家の危機だ」「人口減少を食い止めるためにはできることは何でもやれ」と主張する人もいるようだが、それは無理というもので、本当にできることを何でもやっていたら、効果の乏しい政策に莫大なコストをかけることになってしまう。もっと政策効果を見定めながら政策を練った上で、基本的には人口が減っても国民のウェルビーイングが損なわれないような経済・社会を目指すべきだ。
さて、話はまだ終わらない。この番組収録が終わった数日後に、たまたま、矢島洋子氏(三菱リサーチ&コンサルティング主席研究員)の「先進国における少子化対策」という論文を読んだ(「金融財政ビジネス、2025年2月27日号」)。すると、その中で、先進諸国はどこでも家族政策(ファミリーフレンドリー政策)に力を入れているが、出生率が大きな影響力を持っているのは日本と韓国だけであり、大半のOECD諸国では、出生率が家族政策の目標だとは考えられていない」という指摘があってやや驚いた。
矢島氏が根拠にしているのは、OECDが2007年に発表した“Babies and Bosses Reconciling work and family life”(赤ちゃんとボス-仕事と家庭生活の両立-)という報告書だ。「そんな報告書があったのか」と早速目を通してみた(ネットから無料で入手できる)。
すると確かに次のような一節がある。
「出生率の低下は、将来の社会のあり方について重要な示唆を与えるものである。日本と韓国では、家族政策を実施していく上で最も懸念しているのは合計特殊出生率である。出生率の低下を懸念する動きが広がっていることは事実だが、多くのOECD諸国では、出生率を公共政策の目標だとは考えていない」(筆者訳)。
では、他の先進諸国ではどうして家族政策に力を入れているのだろうか。この報告書によると、それは次のようなものだという。
第1は、女性(特に母親)の労働力供給の増加である。働く意欲を持つ女性が労働力として経済社会に参加してくることは、経済成長を促し、国民生活を豊かにする。それは自身の能力を十分に発揮する機会を持つという観点からも重要なことだ。日本ではこれまで、人手不足の中で女性の労働参加が進んできたのだが、その多くは非正規雇用であり、女性の十分能力が発揮できているとは言えない。これは日本の問題でもあるのだ。
第2は、家族類型間での社会的公正の確保である。特に、一人親世帯(中でも母子世帯)については、仕事と家庭生活の両立が難しいのだから、こうした恵まれない環境にある家族を援助する必要があるというわけだ。これも日本にとって重要な課題である。日本では、一人親の現役世帯(その多くは母子世帯)の貧困率がOECD諸国の中で最も高いという状況があるからだ。
第3は、子どもの発達や将来への負の影響を小さくすることである。近年、子ども期の貧困は、生活満足度や健康に影響するほか、教育や成年後の就業、所得に悪影響を及ぼすことが分かってきた。仕事と家庭生活が両立できるような環境で育つことは、子ども自身の人生にとって重要な意味を持っているのだ。これも日本の重要課題だ。
第4は、ジェンダー間の公正の確保(いわゆる男女平等の確保)である。どの国でも、就業に際しての男女差はどうしても残っており、女性により多くの家事・育児の負担がかかっている。これを出来るだけ公正に負担していこうというのである。日本では(韓国もそのようだが)、他の先進国以上に男女の役割分担意識が強く、男性の家事・育児参加が進んでいない。
矢島氏は、前述の論文で「出生率は、男女が共に働きながら子供を産み育てやすい社会環境が整っているかという総合的なアウトカム指標であり、社会環境が改善していない、あるいは悪化しているのに出生率だけが上がることはない」と書いている。私もつい、出生率というと「人口が減るかどうか」という視点だけで見てしまうのだが、もう少し視野を広げて、それがより多様な社会的課題を示しているのかもしれないという目で見ていく必要があると思ったのだった。

2025.03.17