久米仙人

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

「女性が」と取り立てて言うのは危険だと森喜朗事件で教わった。森さんは私と同い年だから、この話題はコロナと同じで、高齢者とくに男性には危険極まりない。「時代を進める」というのは、その老人から見ても、時代遅れの表現である。広義の進歩主義がこれからも続くであろうか。それが成立しそうな局面はAIの世界だけであろう。

AIが優越していく社会を女性が進めるかどうか、かなり疑わしい。私はそう思う。これも危ない発言である。新井紀子さん(国立情報学研究所教授)のような人がいるからである。私は全体としては、時代は進まないで、足踏みするか、戻ると見ている。もちろん局面によるであろう。

新型コロナで起こったことの一つは、東京の人口の移動である。従来とは逆に東京から地方へ流出する人の方が増えたらしい。これを時代が「戻る」と見るべきか、「進む」と見るべきか、いずれにせよ未来のことなら「進む」と言っておく方が無難であろう。ともかく人の移動については、地方に「戻る方に進む」ことが起こっている。

地域人としていうなら、地域が活性化するには、人が移動するしかない。生んでいたのでは急場に間に合わない。だからこの現象は望ましいことである。私の家の事情でいうなら、田舎暮らしをしたくないのは女房であり、娘であって、私は虫さえ採れれば、どこでもいい。とくに私はとうに傘寿を越えて、天気が良ければ、縁側でネコの背中でも撫でていればいい歳だから、いまさら「女性の活躍を期待する」なんて、噓はつく気がない。これ以上女性が活躍してどうなる、と猫を撫でながら思うだけである。

ちなみにうちのネコは最近死んだが、雄だった。生きている間、何にも役に立つことをしないネコだった。ネズミ一匹、捕まえたことがない。十九歳で死んだから、天寿を全うした、というべきであろう。男というのは、そういうものではないか。なんだか知らないけど、ただ生きていて、いつの間にか死ぬ。

話は変わるが戦国時代を終わらせたのは、男性だろうか、女性だろうか。歴史は政治史として書かれることが多いから、戦国の終わりというと信長、秀吉、家康ということになる。北政所と淀君とお市の方だったかもしれないと私は長いこと思っている。日本史のことは忘れてしまったから、家康の周辺の女性の名前なんか、思い出せない。それでも家康は女性の影響を強く受けたに違いない。家康のような苦労人の常識家が、身近な女性の思いに気づいていなかったはずがないからである。お市の方の例を考えるまでもなく、戦国は女性にとって不幸な時代であったであろう。これも局面により、人によるだろうが、戦乱の世では、日常普通の暮らしが必ずしも保てなかったことは明らかだからである。

男だ、女だといちいち言うのは、ヘンである。毎週、虫好きが集まってZoomの会議をやっているが、女性が一人、時々入ってくる。これはいいことで、男ばかりの会議なんて殺風景でいけない。これが逆だったら、どうだろうか。女ばかりの会議に一人男が入っている。私なら逃げ出す。広島大学に初めて薬学部ができた時、友人が赴任した。最初の年は定員四十名中、男子学生は二名。間もなく二人とも辞めた、と報告してきた。そんなものであろう。

歳をとると、女性はいいものだという気がしてくる。私は母子家庭で育ち、姉が十一歳年上だったから、母親が二人いるようなもので、若い時には典型的な女性恐怖症だった。今はすっかり治癒してしまって、女性がいた方がいい。先日テレビを見ていたら、イタリアの田舎町を取材していて、街路に面したカフェの窓に向かって、爺さんが三人、横に並んで外を見ている。リポーターが「なにしているんですか」と訊くと、「見てみろ、あそこを女の子が歩いているだろう。皆で品定めをしてるのさ」と言っていた。幸せな生活だなあと思った。ネコも悪くないが、やっぱり女性がいい。歳をとって、やっと心からそう思うようになった。

久米仙人という先輩もいたことだしなあ。

●撮影:島﨑信一

(地域人第69号より)

2021.06.15