大水害の記憶を呼び起こすことがなぜ必要なのか

著者
大正大学地域構想研究所 客員教授
河野 博子

ジャーナリスト
大正大学地域構想研究所 客員教授
河野博子

「激甚災害ゼロの36年間」の功罪

まさに目からウロコが落ちたような気がした。

公益財団法人・河川財団の関克己理事長が作成した表を見た時のこと。明治初年から死者・行方不明者1000人以上の災害を列挙してある。時系列順に災害が並び、右端の数字は災害と災害の間隔を示す。かつて、死者・行方不明者が1000人以上の災害は1年~数年間隔で起き、頻発していた。しかし、伊勢湾台風から阪神・淡路大震災までの36年間はゼロだった。

ちょうど私は、伊勢湾台風の実相に迫った本を読んで衝撃を受けたところだった。岡邦行著「伊勢湾台風 水害前線の村」(2009年8月8日、ゆいぽおと発行)。台風の高潮に襲われ、5000人を越す人々が命を落とした惨劇の詳細を、初めて知った。なぜこの悲劇があまねく知られていないのか。日本が戦後復興、高度経済成長と駆け上るなかで、社会からその記憶が遠のいてしまったのかもしれない。そんなことをぼんやり考えていた。

関理事長によると、伊勢湾台風の1959年と阪神・淡路大震災が起きた1995年の間の36年間が「激甚災害ゼロ」だった理由は「神様にしかわからない」。つまりは、偶然の空白期間。しかし、この36年間は「まさに高度成長期であり、今日の日本に繋がる様々な仕組み・制度やシステムなどが新たに組み立てられた期間」であった。そして、「この間、全く大規模災害というのを意識せずに過ごすことができた」ため、「仕組みや制度に災害という観点があまり入っていない」と関理事長は見る。

戦後直後には大規模災害が続いたが、その後、堤防などインフラストラクチャーの整備が進み、自然災害、特に風水害が激甚な被害をもたらすケースは減った、と一般に理解されている。
実際には、たまたまラッキーだったともいえる。同時に、「災害という観点があまり入っていない」仕組みや制度ができてしまったというマイナス面が残った。

表:1000人以上の死者・行方不明者が出た災害(明治以降)=関克己・河川財団理事長が2017年5月29日に国土政策研究所で行った講演録から、表は関理事長が作成

「災害=地震」ではない

私は読売新聞編集委員だった2015年3月、仙台で開かれた第三回国連防災世界会議を取材した。この会議に先立って2014年には台風で大打撃を受けたフィリピンや太平洋島しょ国に行ったり、専門家の話を聞いたりした。

日本では、自然災害といえばとにかくまずは地震を指す。ましてや当時は、日本全体が2011年の東日本大震災および東京電力福島第一原発の事故から立ち直れないでいた時。首都直下型地震や南海トラフを含む地震が、日本人最大の心配事だった。
しかし、世界のデータを見て、私は認識を新たにした。

“EM-DAT”と呼ばれるデータベース(CRED=The Centre for Research on the Epidemiology of Disasters=という国際組織によるデータベース)が示した「世界の自然災害発生件数1900-2010」というグラフをもとに国土交通省が作成した資料(グラフ)をここに再掲する。グラフの右端、2010年ころの発生件数をみると、洪水、続いて暴風雨が圧倒的に多い。この二つよりも少ないレベルで多い順に土砂崩れ、地震、干ばつとなっている。

学問的には、CREDのEM-DATにはいろいろな問題があるとも聞いた。データのとり方など科学的な信頼性の問題はあるのかもしれないが、世界各地で2010年ころから、洪水と暴風雨、土砂崩れに翻弄される人々が増えたのは事実だ。

災害対策を担う区市町村にとって、地震と同様、風水害への対策・備えはいまや喫緊の課題となっている。

極端な大雨

1959-1995の「激甚災害ゼロの36年間」と現在は、大きく状況が異なる。

気候変動(地球温暖化)が進み、世界各地で「Extreme Events(極端現象)」と呼ばれる気候災害―巨大台風、洪水、暴風雨、熱波、干ばつ、竜巻、氷河の決壊、土砂崩れーが頻発しているのだ。
日本列島ではこの夏、各地で大雨が続き、洪水や浸水、土砂災害をひき起こしている。

読売新聞8月20日朝刊によると、7月以降、8月17日までに気象庁が発表した「記録的短時間大雨情報」は計115回にのぼり、昨年同時期の3倍を超えた。
風水害、とくに台風は地震と違って経路や大きさの予測ができるという点が大きい。予測技術も伝え方も進歩してきた。気象庁は今年6月から、同じ場所で長時間大雨をもたらす「線状降水帯」の予報を始めた。発生が的中する確率は5割程度と課題は残るが、それでも避難などの準備にかかれるメリットは大きい。

そこで、「激甚災害ゼロの36年間」に薄れてしまった記憶を取り戻し、かつて人々がどのように大規模水害を生き延びたかを知ることが重要になってくる。現在進めるべき対策のヒントがあるかもしれない。

1947年9月に日本を襲ったカスリーン台風は、今年で75年。埼玉県加須市の利根川右岸堤防決壊に続く埼玉県東部、東京・葛飾、足立、江戸川の洪水に絞り、経験者に話を聞いた。

地域人第85号(9月15日刊行)の防災特別企画を読んでいただければ幸いです。

2022.09.01