ハマっ子が行く、茨城県での挑戦

某出版会社 営業職
小池 輝

「こんにちは!こんど役所と一緒に情報誌をつくることになりまして!挨拶回りしてます。小池です!」そう言って地域の企業から広告を取ってくる、これが私の仕事です。いわゆる広告代理店の営業職。「地域創生」と言う言葉に、似ても似つかない仕事をしているのが今の私です。

地域実習は最上町!

高校時代、新聞部に所属していた私は、「もっと色々な地域情報をメディアで発信したい」という単純な理由で大正大学地域創生学部に入学しました。しかし、地域創生という大きな課題に対して、地域という曖昧な括りの中から、経済学という膨大な知識を使ってアプローチを仕掛けるという、いくら研究してもしきれない内容に入学当初の私は混乱しました。

それから数か月後、中途半端な知識と気持ちで挑んだのが、山形県最上町での地域実習でした。人口が1万人を切り、森林面積が80%を超え、地元の人からは「こんな田舎に来てもなんにもない」と答えるような町。学部の一期生として、学部と町民から感じるプレッシャーで押し潰されそうになったのを今でも覚えています。しかし、実習に入ってからというもの、その考えは杞憂でした。

最上の最上町

実習中、町を探索していると、たまたま開催されていた町内の集まりに「どこから来たんだ?入れ入れ!」と参加させてもらい、「食べな食べな!」と食べ物をいただき、「うちのキノコ見ていくか?」とキノコ農園の見学をさせてもらいました。

またある時には、「ちょっと、兄ちゃんたち!手伝ってくれ!」と声をかけられ、田んぼに埋まった農業機械を引っ張り上げ、その後、そこがホームステイ先だということが判明。ホームステイが終わった後もハンググライダーに乗せてもらったり、サクランボをもらったり、ご主人の職場のボランティアに参加したり――。というように「なにもない」と言っていた町民から数々の魅力を教えてもらいました。

それからというもの最上町は私の中でもう一つの故郷となりました。地域創生という大きなテーマを机上の空論で難しく考える必要などなく、最上町を歩いただけで、愛着を抱き、最上町を中心に考え、自然と地域創生への原動力が生まれていたのです。そして私は、最上町の魅力は「人の温かさ」であることに気づきました。ただ、学部の中でもよく議論になったのが、そのような形の無いものは地域資源として成り立たないのではないか、ということでした。

2年時の地域フェア「もがみ輝工房」

だからこそ私は情報発信メディアという分野で形の無いものを形として発信することを今後のテーマとしました。そして3年時の地域実習では『もがみ輝』という最上町の地域情報誌を実習期間中、毎週発行しました。

地域情報誌『もがみ輝』

ほぼ1人で、取材から原稿、編集、発行に至る全ての工程をこなし、寝る間も惜しんで締め切りに追われていましたが、それ以上に楽しくてしかたありませんでした。自分のしたいことをして、最上町を知ることができ、地域創生にもつながる。経済学の知識や周りの評価も自然とついてきましたが、何よりもこれまでと違い、好きになった最上町のために魅力を形にできているということが嬉しかったです。

なんで私が茨城に!?

このような経験から、就職先はメディア業界で記者を志望しました。その中でご縁があったのが今の会社です。全国規模で行政と連携して、デジタル媒体や紙媒体での情報発信を行っています。実際に私の出身である横浜市や、最上町にも自社で発行したものがあり、おそらく誰もが目にしているものです。ただ、配属先は茨城県の南部に決まり、また新しい地域での一からのスタートとなりました。毎月、異なる市町村に入り、地域の隅から隅まで地元企業を訪問します。その意味では「地域を知る」という点において、これほどまで合致する仕事はなかなか無いと感じます。その地域を支えている企業や人、特産物や文化など、さらには企業同士のつながりや人間関係、隣接する市町村との関係まで、営業トークに役立つ様々な情報を、会話を通して知ることができるのです。

特に最近ではコロナウイルスの話題が後を立ちません。特に飲食店からは広告に対する考え方も大きく変わり、例えば、広告費を削りたいけど閉店したと思われたくないという方には、最低限の費用で地元の広告だけ残すような提案をします。その他にも、飲食店でも元々テイクアウト専門で売上が伸びてるため大きく広告を出したい方、今までネット広告をしていたけれど、県外から来られるのが怖いため地元にクローズした広告を出したいなど、飲食店という大きな括りであっても事前に情報を仕入れ、それぞれに合わせたアプローチを行っているのです。将来的にはこのような経験を活かして、今いる地域に会社のためではなく、地域のために関わっていきたいと思っています。

休日を使って筑波山へ

また、最終的には自分の故郷である横浜市や最上町に戻り、地域の魅力を様々な媒体を通して情報発信していきたいです。その足が掛かりとしての今であるならば、私の地域創生はまだ始まったばかりですね。

2022.04.11