世界の田舎 ─ ラオスは間もなく変わるかもしれない

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

五年ぶりにラオスに行った。もちろん虫採りが目的。

久しぶりに行くと、変化が目立つ。同行した友人は二十年ぶ りだという。当然ながら、変化に呆れている。日本が高度成長を遂げた時代を思えばいい。それに近い変化が生じている。ラオスの場合には金鉱が見つかったりして、アジアの貧困国から脱しつつあるらしい。隣のタイ、ヴェトナムと比較して、人口が十分の一以下だから、ちょっとしたことで社会が大きく変わるのであろう。

ラオスは世界の田舎の一つだと思っていたが、間もなく変わるかもしれない。

その代わりというべきか、虫は減ったような気がする。何年も同じ場所で採集しているから、それを実感する。採れる虫の種類も数も減った。

ラオスの人は焼き畑と称して、里山を焼く癖がある。これは もはや実用性というより、癖というしかない。三月は乾季の終わりだが、この頃に行くと、国中が煙い。そんなに燃やさなくたっていいだろう。そう思うけれど、やっぱり燃やす。京都の大文字焼きみたいなものかもしれない。ただ宗教的ではないようである。

今回はユーカリの植林が目立った。国連の指導だという話も ある。私はユーカリの植林は間違っていると思う。地元の適切な木を探して、それを植えるべきであろう。たとえばマツなら、もともとラオスには多い。中部の高原に行けば、いたるところがマツ林である。日本のスギは植えすぎで、とかく悪口を言われる。でもともあれ日本固有の樹木だから、まだマシである。虫もちゃんと心得ていて、スギにつく虫は何種類もある。ユーカリを植えたって、なにもつかない。

べつに虫のことだけを考えているわけではない。オーストラ リアじゃあるまいし、乾いたところで育つから、それならユーカリだ、と簡単に決めているに違いない。それが気に入らない。要するに楽をしているに違いないのである。

アメリカの西海岸なら、ユーカリは巨木に育って、たいていの人は地元の木だと思っていると思う。もっともそれを言うなら、ヒト自身が問題である。二万年前なら、アメリカにはほとんどヒトはいなかったはずである。いまは地元で発生したような顔をしてますからね。

ことほどさように、ヒトは勝手なことをする。繊細なようで、 まったくの乱暴としか言いようがない。さすがにヒト自体に害を与えるような環境破壊は減ったと思うが、環境それ自体の破壊は日常茶飯事である。もはや「破壊」とも思っていないと思う。代わりに進歩とか、発展とか表現する。

ラオスにはやがて中国から鉄道が入ってくる。その予定地も見た。実質的には中国化するであろう。ヴェトナム戦争ないしそれ以前に、ラオスで発見されていた虫はいくつもある。それを探すが、たとえばヴィエンチャン近辺のものはまず採れない。足掛け十年以上探しているが、もういなくなったのだろうと思う。そういう虫を探している私も、ぼちぼち絶滅ですねえ。

6月4日(虫の日)に鎌倉・建長寺の「虫塚」で行われた法要で。
撮影:島㟢信一

著者:養老孟司(大正大学地域構想研究所 顧問)

2018.07.17