東京都知事選挙が7月7日投開票となる。およそ1500万人という日本最大の都市のトップを決める選挙であり、東京都民だけでなく全国民の注目度も高い。小池百合子都知事に対し、蓮舫参議院議員などがチャレンジャーとなる。多くのメディアでは、女傑対決などとこの2人を軸に取り上げている。6月18日には、2人が若干時間の差はあるものの、同日に少子化対策などを柱とする公約を発表した。小池氏は「無痛分娩」支援を目玉に、主に出産や子育てにかかる経済的負担軽減を盛り込んだ。一方、蓮舫氏は、長い目での少子化支援は経済力からと「若者支援」を打ち出し若者世代の賃上げや非正規雇用問題などを少子化対策の柱に据えた。
厚生労働省が東京都の合計特殊出生率が1を割り込んだ0.99という数字となったと発表したのは2024年6月5日。メディアはこぞってこの0.99という数字を報道し、都知事選挙でもアナウンサーやコメンテーターたちは「東京都は合計特殊出生率が0.99なので少子化対策が喫緊の課題ですね」と次々に言う。しかし、合計特殊出生率とは一人の女性が一生の間に生むとしたときの子どもの数であり、年齢ごとの出生数を女性人口で割り、その数値をすべて(15歳から49歳まで)足して算出するものである。東京都人口は統計の残っている明治5年から一貫して人口を増やしており、いまや全国の人口の11パーセントが首都東京に集まっている。そこには多くの若い女性を東京が吸収し続けているという現状があり、15歳~24歳までの女性はおよそ10パーセントを占める。東京での平均出産年齢は30歳を超えている。つまり、出産前年齢の女性が東京に流入することにより、合計特殊出生率を押し下げているのである。マスメディアでは、合計特殊出生率が0.99という数字で、東京も少子化対策を強化しないといけないような印象操作が行われている。しかし、2016年から2022年の7年間、小学校・中学校の児童数は増加傾向にある。確かに東京の出生数は若干減少気味ではあるものの、小学校入学をきっかけに教育環境を求めて移住していく家族もいることから、近年東京の児童数は増えている。その事実は報じられない。
国が少子化対策を重要政策の一丁目一番地に据えたのは、第二次安倍政権以降であり、「希望出生率1.8」を掲げたことにより、各自治体でも1.8という数字が大々的に打ち出され、それが数値目標となり、少子化政策に次々と予算を付けだした。その結果、どの自治体でも出生率の上昇が見られるとそれが大々的に報道されるようになる。しかし、内実は地方では出生数は減っており、若者の都市部への流出が止まらない。一方東京は、出生率は全国最下位でも、若者の流入と定着、外部からの移住により、児童数は増えているという現象を生み出している。自治体もメディアも「合計特殊出生率至上主義」になってしまっていると言えよう。
東京の高齢化率は13.3%であり、日本全体の29%の半分以下である。少子化の最大の課題は高齢化率にある。その地域での雇用の維持が難しくなり、高齢者やコミュニティの支え手が高齢化によって失われていく。そして、高齢化により医療費が増加し、財政を逼迫するという課題だ。そこからわかることは、高齢化率の高い地域の少子化対策へのテコ入れが重要であるという事実だ。地方では少子化がまさに喫緊の課題だが、東京では若年層の流入により、高齢化率は全国の半分以下であり、人口過多、一極集中こそが、むしろ課題である。だとすれば、人口過密であるがゆえの満員電車の解消やマンションの高騰問題といった住宅問題、むしろ人口の分散化こそが重要な課題ではないか。
国もメディアも口を開けば合計特殊出生率。合計特殊出生率至上主義に陥り、本質の議論を失いつつある。合計特殊出生率が低いことが「悪」でこの数字を上げることだけが「善」という思考で固まっているのだ。だからこそ、東京でも「少子化対策」が政策の目玉となる珍事が起きている。しかしながら、大事なのは出生数であり、高齢化率のほうなのである。若い世代がこどもを生み育てる環境の整備は必要なことだ。しかし、それが東京都の「少子化対策」のスキームの中で議論されることは少子化対策の本質ではないのではないか。こどもを希望する人が安心して産み育てることができる環境の整備は、出産政策である。若者の雇用や賃金の問題は長い目で見れば、少子化問題解決につながるが、子どもを持つ持たないにかかわらず重要な課題である。東京の合計特殊出生率0.99という数字に踊らされることなく、出産政策や若者の雇用政策がそれぞれのスキームの中で議論されてほしい。そして、国は自治体の首長選挙が「少子化対策」が堂々と掲げられていることに恥と感じたほうがいい。少子化対策は本来、国家が行う政策だからだ。この都知事選挙を通じて、この悪しき合計特殊出生率至上主義から自治体が決別してくれることを願う。