住まい

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

老齢になって、いちばん嫌なことは、心を乱されることである。虫を捕ったり、見たりしているときには、それがない。縁側で猫と日向ぼっこをしていても、同じである。問題は何かというなら、人間関係、社会のことであろう。それが最大のストレスになる。

適当なストレスは健康の維持に必要だという人がいる。もちろんそうだと思うが、どこまでが適当か、それが問題であろう。

令和二年の暮に、飼い猫のまるに死なれてしまったので、猫に触れる機会がなくなった。猫を撫でていると、血圧が下がるらしい。これを書いている現在、傍にいないので、感触を想像するだけだが、寂しいと同時に気持ちがいい。想像するだけで、きっと血圧が下がっていると思う。

先日、作家の朝井まかてさんと対談する機会があった。朝井さんも二十四年飼っておられた猫に死なれたばかりで、要するに猫対談である。猫の話だけで、二時間ほど潰れてしまうのだから、大したものである。

猫がいなくなったら、近所に住み着いたカラスと、庭にやってくるタイワンリスが存在感を増してくる。まるが来る以前には、タイワンリスを手なずけて、自分の手から餌をとるまでに慣らした。さすがに野生動物は猫がいると近寄ってこない。箱根の家にいると、夜中にイノシシがやってきたりする。騒々しいので気が付く。隣家の孟宗竹が庭に侵入してきたので、掘ろうかどうしようか一晩迷って、翌日見たら、見事にイノシシが掘ってしまっていた。苔庭みたいにきれいに青くなった庭を掘り返すので、イノシシのせいにしていたら、アナグマが家族連れで庭を歩いているのを発見した。アナグマはミミズを好むので、イノシシは無実だったらしい。

畑でも作っていると、動物は邪魔に違いない。ただの庭なら、掘り返されても、腹が立たない。ニコニコしていられる。思えば自分の「つもり」があると、それを妨害されて、腹が立つわけである。それなら自分の「つもり」を消していくと、生きるのが楽になるらしい。八十歳を超えると、さすがにああするつもり、こうするつもりが減ってくる。いくら「つもり」を作って、目標に向けて頑張っても、どうせ寿命が先に来る。

人はあれこれ干渉してくるから、動物と違って面倒くさい。いま住んでいる鎌倉の家は、背後が山で、隣が墓場、前は墓場への道路だから、隣の家との地境がない。夜中に近所をうろうろしても、だれにも会わないし、気を遣わずに済む。そういう立地だから、まるも幸せだったかもしれない。

以前に豪州のメルボルン大学に留学していた時、先輩が実験用の猫を王立動物虐待防止協会(RSPCA)にもらいに行ったことがある。飼うふりをして、猫がほしいと言ったら、最初に聞かれたのがお前の家はアパートか、一戸建てか、ということだった。アパートだと正直に答えたら、それだと猫がハッピーでないから駄目だ、と言われてしまったと言っていた。数年前に島根県の高校に講演に行ったら、古い家が近くにあって、庭でキツネの家族が遊んでいた。キツネの子どもなんか、生まれて初めて見た。

どういうところに住みたいかと訊かれたら、動物がハッピーになるところ、と答える。人も結局は動物ではないか。しかも現に空いている家は日本中にたくさんある。藻谷浩介氏によれば、日本で過疎といわれる鳥取県と島根県の人口密度は、欧州の平均に等しいという。要するに世界基準でいうと、日本全体が過密なのである。コロナ以来、政府は密を避けろという。それははじめから可能だったのである。

●撮影:島崎信一

(『地域人』第74号より)

2022.02.25