住めば最上の「最上町」

最上町地域おこし協力隊から最上町の職員へ

大正大学地域構想研究所最上支局 金田 綾子

玉浦翔平君との出会いはおよそ10年前に遡ります。

当時私は最上町役場産業振興センターの主幹として役場に勤務しており、地域おこし協力隊の面接試験に参加させて頂きました。5名ほど応募してくれた中で、玉浦君は一番若く私の二男か神戸で働いている事もあり、神戸出身の玉浦君がとても身近に感じられました。そして、どうして神戸出身の玉浦君が最上町を選んでくれたのか、とても興味深く今後の活動に期待が持てました。

地域おこし協力隊として、最上町の赤倉温泉スキー場の活性化に取り組んだり、町の職員となった今では、地域の一員として伝統芸能である義経弁慶太鼓の打ち手としても地域になじんで活動しています。

最上町健康センター前で

最上町で生涯の伴侶を得て、子どもにも恵まれ活躍している玉浦翔平君を紹介致します。

 


 

住めば最上の「最上町」

山形県最上町役場 玉浦 翔平

2022年も最上町は大雪にみまわれ、日常生活を送るために家や小屋などの雪投げをほぼ毎日、朝晩にやらなければなりませんでした。(一般的には「雪かき」と言いますが、あまりに雪が多い地域特有なのか「雪投げ」といいます。体験してみると「かき」よりは「投げ」のほうがしっくりきます)雪投げをしなくてはならないし、外に出れば周りの方から、何もないこんな町の何が良くて移住したのかと、最上町に来て10年弱経つ今でもよく言われます。確かに、顔に強風と雪が吹き付ける吹雪の中で雪投げをしていると、何処にもぶつけられない怒りがこみ上げてきますが、私は最上町に住んでよかったと思える充実した日々を過ごしています。

最上町に来たのは大学卒業後(関西学院大学 理工学部 数理科学科)間も無くでした。教員になるため大学で勉強をしていましたが、このまま教員になって通用するのだろうかという不安が卒業が近づくにつれて大きくなる中で、少しでも自分の知らない経験をしてみたいと東日本大震災の発災から半年後に参加した石巻市でのボランティアが大きな転機になりました。

神戸生まれ神戸育ちで阪神淡路大震災の時は4歳でしたが、大きい音と体が浮くほどの揺れだったという記憶だけで、震災後のことについては全く覚えていません。石巻市での活動は、子どもと話したり、遊んだりという内容でしたが、活動のほかに被災された方から聞かせてもらう話や現場で見るもの・感じるものはいかに自分が世間知らずであったかを教えてくれるものでした。ボランティアの回数を重ね、卒業が近づくにつれ、このまま教員になっても通用するのだろうかという不安が大きくなる中で、もっと、自分の知らない世界に身を投じ、いろんな経験をしてみたいという思いでいたところ、見つけたのが「地域おこし協力隊」でした。なぜ、最上町を選んだのかとよく聞かれますが、当時は「場所も知らない、身寄りもないところで生活してみたい」「神戸には簡単に帰れないようなところに行きたい」という理由で募集している市町村を探していて、たまたま見つけたのが最上町だったというところです。

最上町は山形県の北東部に位置し、秋田県宮城県と隣接しており、町域の約8割が山林です。最上町の特産品であるアスパラガスのほか、ネギ・ニラ・水稲等の農産物、町を流れる最上川水系の支流である一級河川の最上小国川で獲れる松原鮎などおいしい食べ物に恵まれています。また、松尾芭蕉が逗留したといわれている封人(ほうじん)の家瀬見温泉赤倉温泉に多くの観光客が訪れています。

最上町での経験はどれも目新しく、とても新鮮なものでした。今ではよほど訛りが強くなければ聞き取れますが、最初の半年は方言が聞き取れず、苦笑いで誤魔化すことも多くありました。どこの誰かも分からない私に、最上町で出会った方々は本当に暖かく接っしてくれました。中山間地域という地域柄、外から人が入ってくるということがそこまでは多くはないため、初対面では難しそうな・怪しそうな顔で見られることは多かったですが、話していくとどんどん笑顔が増えて、いつしか顔見知りの仲になるということはよくありました。そして、一度話しただけの間柄にも関わらず、私が困っている姿を見て助けに駆けつけてくださる人の良さには本当に驚きました。山に囲まれ外となかなか行き来できない地域だったためか、助け合いながら生きていくということが当たり前になっているように思います。個人の権利が大事にされ、ご近所付き合いなどが敬遠されがちな時代ですが、そんな環境に身を投じてみればそこは案外良いものです。妻と子と3人で暮らしていますが、干渉されることもなく、程よい距離感でいつも気にかけてもらっているように感じています。

義経・弁慶太鼓メンバーと

まだまだ猛威を振るう新型コロナウイルスの影響で、テレワークも少しづつ普及し、地方移住という選択も珍しいものではなくなってきました。それでも、車がないと生活できない、冬は毎日のように雪投げをしなくてはならない地域が移住先として選ばれることは少ないと思います。ただ、そこで暮らしてみないと感じることのできない魅力もたくさんあります。私は、最上町に来て、四季の移り変わりに生まれて初めて感動しました。町中真っ白の冬が明け、陽気が差し込み、雪解けが進み、山の木々が芽吹き出す初春の景色は何度体験しても良いものです。自然豊かな中、困った時には助けてくれる人がいる環境で日々過ごせる幸福さは最上です。

人生経験を積むために来たはずが、いつしかこんなところで暮らしていければなと思うようになり、地域おこし協力隊退任後は最上町役場に就職し、職員として働いています。職員になってからも、毎日が勉強で慌ただしくも充実した日々を送っています。これからも、最上町民として協力し合いながら、最上町の素晴らしいところを残して行きたいと思います。

 

2022.03.01