宗教者を受け入れる側の意識を探る

著者
大正大学地域構想研究所研究員・BSR推進センター主幹研究員
小川 有閑

高齢者福祉施設の職員への調査決定

一年近く間隔があいてしまいましたが、科学研究費研究「多死社会における仏教者の社会的責任」(2015年度~2017年度)挑戦的萌芽研究、課題番号:15K12814、研究代表者:林田康順)についてご報告いたします。

本科研では、まず1年目に医療、看護、介護、行政の専門家からお話をうかがいました。(参照:『さまざまな現場の声をきく』)2年目は、そのお話をもとに、超高齢・多死社会のどの領域に焦点を当てるか、検討に検討を重ね、最終的に認知症を中心とした施設での高齢者ケアを対象にすることを決めました。その理由としては、①認知症の増加への対応は喫緊の課題であること、②看取り加算の導入等により、高齢者施設での看取りが増加傾向にあること、③看取りに対してスタッフの動揺・疲弊が課題となっていること、④医療に限界がある(治癒ができない)認知症ケアにおいてスタッフの疲弊が課題となっていること、⑤季節ごとに地元宗教者を招く施設があるなど、生活の延長にある介護施設は医療機関よりも宗教者への垣根が低い傾向にあること、が挙げられます。

特別でない活動の価値

また、あえて言えば、もう一つ理由があります。それは⑤に関係することではありますが、今、日本の宗教界には、スピリチュアルケアの潮流があります。(参照:『現代の「苦」を見つめる』『スピリチュアルケアの定着に向けて』)2011年の東日本大震災を一つの契機として、僧侶をはじめとした宗教者が、宗教施設の外、公共空間において、教化・布教をせずに、相手の心・実存的な痛みに寄り添うという活動が盛んになってきました。宗教系大学等において特定の講座を受講することにより、臨床宗教師、臨床仏教師という資格を取得ができ、既に何人もの僧侶、宗教者が臨床の現場に巣立っています。このような活動は、一般社会からも評価されています。この流れは、もちろん否定すべきものではないですし、仏教者の社会的責任という観点からも歓迎すべきものでしょう。

ただ、制度化は時代の流れというものですが、その一方で、従来の法務(葬儀等の法要、祈祷や法話)や檀信徒や地域との日常的な交流が、それらに比べて劣るものと見なされてしまう懸念や、たとえば資格を持たない宗教者が臨床の現場に関われなくなってしまう懸念もあります。BSR推進センターでは、仏教者の社会参加のありかたを広く考え、寺院の外に出て行う、いわゆる社会貢献活動も、伝統的な法務(葬儀等の法要、祈祷や法話)や檀信徒・地域との日常的な交流も、社会的責任のあらわれとして等しく価値あるものと考えています。この懸念や社会的責任の考え方が、福祉施設を選んだ背景にあります。

社会からの評価の高まりはあるものの、医療の現場に宗教者が参画するには、まだまだハードルが高いの現状です。しかし、お盆に地元の僧侶を招いて法要を行う施設は少なくありませんし、真宗信仰の篤いある地域では、毎月、地元僧侶が訪問し、入居者と一緒に読経をするといいます。認知症を持つ入所者も、正信偈を空で唱えるのだそうです。こうした事例を踏まえて、福祉施設であれば、スピリチュアルケア的、社会貢献的な活動から、従来の法務・地域コミュニケーション的な活動まで、広く扱えると考えました。

別の観点から考えますと、臨床宗教師、臨床仏教師など宗教界での人材育成、宗教界から医療・福祉の現場に参画していこうという意欲は盛んになってきていますが、受け入れる側の医療・福祉のニーズに対する体系的な把握はほとんどなされていません。資格は取ったものの、活動する現場がなかなか無いという話も耳にします。そこで、福祉施設のスタッフの宗教者に対する正直な考えを把握したいという狙いもありました。

科研の3年目、2017年5月から8月にかけて、私たちは関東地方の協力を得られた10施設(医療施設2、高齢者福祉施設8)に勤務するスタッフに対してアンケート調査を実施しました。配票数338、有効回収数323、95.6%という高い回収率でした。(本調査にあたっては、大正大学研究倫理委員会の承認を受けています)次回は、そのアンケート調査の結果について述べたいと思います。

2019.10.01