1960年を「インスタント食品元年」とも言う、と以前に書いた(「レトルトカレー市場の伸長をめぐって」2018年7月)。即席カレールゥ、インスタントコーヒー、インスタントラーメンなどが新登場、あるいはCMなどで一気に人気商品となり、そこから発した「インスタント」という言葉は同年の行語ともなった。
「インスタント」食品は、今でこそ「手抜き」と同義語のように言われることもあるが、当時は様々な加工食品による食の簡便化を、「食の合理化」「食の高度化」とも言い、政府も推進していたのである。
戦後の食糧難は一段落しても、かまどの火熾しや井戸の水汲みから始まることも珍しくなかった、当時の台所仕事の膨大な手間と時間を少しでも合理化し、高度経済成長の下で「余暇」を楽しめるゆとりある暮らしを目指していた時代である。
そこで、1950年代後半から日本では余暇活動の奨励が始まり、1960年には「レジャー」という言葉(大宅壮一が最初に使ったとされる)も登場、1961年の流行語ともなる。特に、単身者のレジャーより、「ファミリーレジャー」がその中核であった。
興味深いことに、この1960年には日本の家庭にまつわる様々な変化がみられる。
たとえば、赤ん坊の出産場所が「自宅」から、病院などの「施設」で行われる施設出産へ反転したのも1960年。1950年代末から1960年ころまでは7割以上を占めた生後一か月未満の母乳育児が60年以降減少し、70年には3割まで下落していった(厚生省調査)のも、施設出産で粉ミルクが与えられたことと無関係ではない。日本初のウエットタイプ「離乳食」が販売されたのも1960年であった。
つまり、生まれた時からインスタント食品があり、生まれて初めて口にした物が加工食品(粉ミルク)という日本人は、ここから増大し一般化していくのである。子供のころのお八つが洋風に変化したり、ファミレスやファストフードを子供時代から体験をしたり、中学校の弁当で「冷凍食品」を食べ始めたり、この世代から食体験が変わっている。
さらに、子供の育てられ方もこの1960年から激変している。それまでは、周りの経験者の知恵や助言による経験育児・伝承育児であったが、この年から育児書やテレビ・ラジオからの新情報を重視する情報育児へと反転したのである。1960年には育児書の爆発的人気ぶりが話題となり、育児書(「私はあかちゃん」松田道夫)が、書籍のベストセラーに入るほどであった。育児の仕方の新旧格差は当時の重大な嫁姑問題にもなるほど、育児思想や育児法が短期間に変わったのである。
その背景には、1960年ころに出産期を迎えた女性たちが戦後の新教育を義務教育で受けた第一世代であったこと、つまり母親世代の(思想)変化があったことは無視できない。その上限は今80代半ばのおばあちゃん世代に重なる。この話は、拙著「『親の顔が見てみたい!』調査」(新潮新書)に詳しいので、ここでは割愛したい。
さて、その育児書やテレビ・ラジオが語った新しい育児思想には、今日に続く共通した価値観があり、それが重要だ。いずれも、子供たちを「個」としてその意思や個性を尊重して育てるように語っている。たとえば食周りでいえば、食べ物の好き嫌いや食べ方の躾け、お手伝いなども「親が子供に無理強い、強制、押し付けをしてはならない」とされるようになった。50年代までの子供たちのように「行儀よく残さず食べろ」とか「出されたものに文句を言うな」「誰に食わせてもらってるんだ、言う事を聞け」などど強制されなくなったし、お手伝いも親が「させる」のではなく、子供の意志や自発性を尊重して「してもらう」ものに変わったのであった。
また、それまでの「家(イエ)」は男や年長者が中心であったが、子供たちを大切にする「お子様中心」家庭に変わったのである。親が子供に「赤ちゃん用」「子供用」の様々な商品を次々買い与えるようになって、「赤ちゃん産業」「お子様市場」ができたのもここからである。
そんな1960年以降に生まれた人々が結婚して子供をもつ親となり、家庭を形成し始めたのが、ちょうど平成元年のころであった(厚労省「人口動態統計」)。そして30年経ち、平成末年を迎える来年には、日本の子育て中の親の殆どすべてが1960年以降生まれの人々が占めるに至る(それより上の世代はもう子供が自立し「子育て中」ではなくなる)。
平成の30年間が日本の家庭や親子関係や食卓の激変期となったのは、こうした歴史的必然によるものではなかったかと私は考えている。それまでとは異なる「お子様中心」家庭に生まれ育ち、新しい食経験を持ち、新しい育児思想で「個」として尊重されて育てられた人々が親となり、子育て中の親の殆どを占めるに至ったのが「平成」という時代変化だったのだから。
こんな話をすると、「地方は都市部と違うだろう」と言う人もいる。もちろん全く同じではないかもしれない。しかし、マスコミが全国各地まで広く影響力を持つようになり、情報の地域格差が急激に減少し始めたのも1960年代のことだ。NHK調査で受信契約数が1000万件を超え、テレビ普及率が3割を超えた1960年度、日本は「本格テレビ時代に入った」とされる(この年ラジオの受信契約数が初めてテレビと逆転した)。同年、カラーテレビの放映も開始している。そしてさらに、平成元年度末に人口普及率0.3%だった携帯電話が、平成25年度末100%を超え、29年度末には109.4%に達している(総務省調査)のも見逃せない。
平成時代は、日本人の個の在り方や家族の姿を変え、食卓を変え、地方と都市部の関係も変え、それらが新たなステージへと至る30年間でもあったようだ。
奇しくも、次の天皇である現皇太子は1960年のご誕生。平成時代の変化そのものを体現して即位される新天皇として、まさに歴史の節目を象徴しているかのようだ。(1960年以降生まれの特徴とその成育史については、拙著「日本人には2種類いる」新潮新書参照)