高齢者ケアに僧侶はどう関われるか?

著者
大正大学地域構想研究所・BSR推進センター主幹研究員
小川 有閑

未体験ゾーンへの突入

今や日本の高齢者(65歳以上)が全人口に占める割合は27%にまでのぼり、昨年、亡くなった人の数は134万人、十数年後には160万人を超えると言われています。一方で、出生者数は減少の一途をたどり、平成29年は94万人となっています。まさに、日本は「超高齢・多死社会」を迎えています。

15歳から64歳を現役世代とした場合、1950年は1人の高齢者を12.1人の現役世代で支えていましたが、あと数年で現役世代は2人に満たなくなると予測されます。どうやって高齢者を支えていけば良いのか、国や自治体にとって喫緊の課題となっています。定年の引き上げなど、働ける高齢者を増やすことも大切ですが、やはり年齢を重ねることで、体力は低下し、病気のリスクも高まります。かといって、現役世代は比率として減少し、家族の構成も60年前とは変わり、高齢者の単独世帯、夫婦世帯が激増と言ってよい増え方を見せています。たとえば、1980年の男性の単独世帯は19万人、女性は69万人でした。それが、2010年には男性139万人、女性341万人と30年で驚くべき増加を遂げています。家族が高齢者を支えることもままならない状況なのです。また、医療の進歩により平均寿命は延びているものの、健康上の問題で日常生活を支障なく送れる年齢、いわゆる健康寿命はさほど延びていません。つまり、医療や介護のお世話になる年数が長くなっているということです。

そのような超高齢・多死社会の抱える大きな課題の一つに、認知症を持つ人の増加があげられます。認知症を持つ人は増え続け、高齢者人口が4割に至るとされる2055年には、人口の1割が軽度認知障害以上の症状を抱えると予測されています。しかし、特別養護老人ホームへの入所を申し込んでも、空きがないために長期間待たされてしまうという話をよく耳にしますし、徘徊からの行方不明、自動車事故等が問題になるなど、施設以外に居住する方々に対する家族や地域での見守りの限界も感じられます。家族による介護に目を移せば、親の介護のために子どもが離職せざるをえなかったり、介護疲れによる殺人事件が起きたりするなど、「家族なら介護するのが当たり前」という社会の無理解・プレッシャーも根深く存在しているとも言えます。

これまでであれば、家族で限界が来たら、施設でというサポート体制でなんとかなっていたのかもしれませんが、家族がそもそもいないという高齢者も増え、施設も不足、さらに自治体も体力が落ち、公助にも限界がくるという八方ふさがり。そこで、我が国では、認知症の人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域の良い環境で自分らしく暮らし続けるための共生社会を実現しようと「地域包括ケアシステム」の構築が叫ばれています。具体的には、民間組織が連携をしながら社会的弱者を支えていったり、自治会のような住民相互で助け合ったりという共助・互助・自助の強化、地域コミュニティの再生・強靭化です。

転載)厚生労働省「包括ケアシステム」より

仏教者の出番はあるのか?

では、地域包括ケアシステムに寺院や僧侶は入っているのでしょうか。厚生労働省が描いている地域包括ケアシステムのモデル図には見当たりません。「老人クラブ・自治会・ボランティア・NPO等」に含まれていると言えなくもありませんが、おそらく多くの人の意識には入っていないでしょう。

しかし、生老病死を長年、地域の中で扱ってきたのは仏教者でした。生まれた以上、老いること、病気になること、そして、死ぬこと。これらはどうしても避けられないことです。この避けられない現実にどう対処すれば良いのか。仏教には蓄積があり、仏教者はそれを人びとに提供し、苦しむ人に寄り添って来た歴史があります。地域に密着して、コミュニティの重要な役割を担っている寺院も、まだまだ全国にたくさんあります。高齢者が安心して地域で暮らしていく上で、寺院や僧侶が果たせる役割はあるのではないか、地域包括ケアシステムに仏教者が入ることで、より良い超高齢社会の実現が可能になるのではないか。そのような問題意識のもと、2015年度から3年間、BSR推進センターが中心となって日本学術振興会科学研究費・挑戦的萌芽研究「多死社会における仏教者の社会的責任」(研究代表者:林田康順仏教学部長)を進めてまいりました。次回以降、この研究で得られた知見について報告をしたいと思います。

2018.07.02