死者とともにある文化

著者
大正大学地域構想研究所 客員講師
小川 有閑

お盆は死者と過ごす時間

全国的に8月はお盆シーズンですね。もともと旧暦の7月に全国で営まれていたお盆。明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日にするという改暦により、カレンダーが約1か月前倒しになります。お盆も移行するかと思いきや、現在、新暦の7月にお盆を営むのは東京や神奈川の都市部、とても限られた地域のみ。ほとんどの地域では8月、つまり旧暦の7月にお盆を迎えています。この理由は、お盆が農耕生活と関連した行事のため、暦に合わせた時期の変更が難しかったためと言われています。夏の収穫を終え、ご先祖様に収穫をお供えし、おもてなしするのがお盆でしたから、まだ忙しい新暦7月にお盆はできなかったわけです。ご先祖様をにぎやかにおもてなしする盆踊りは、生きている我々にとっても、収穫を終えた後のレクリエーション、エンターテインメントでもあったのでしょう。
お盆の期間はご先祖様があの世からこの世に、家に戻ってきてくれるとされます。今もお盆休みに、多くの人が帰省をしますが、その本義は、ご先祖様を一族みんなでお出迎えするというもの。いかに先祖を大事にしていたかが分かります。今は、お盆にご先祖様が帰るといっても、何代も前の顔も分からない人たちではなく、祖父母、両親など顔も名前も分かる、親しみのある近親者をイメージする人が多いのではないでしょうか。
いずれにしましても、お盆に帰ってくるのは亡き人、死者です。死者を迎え、死者とともに過ごすのがお盆ですから、8月は1年でもっとも死者を身近に感じる月と言えるでしょう。

グリーフワークの視点

ややこじつけのようで恐縮ですが、そんな8月だからこそ、生きている私たちと死者の関わりについて「グリーフワーク」の視点から考えてみたいと思います。グリーフとは死別によって生じる悲嘆反応のこと 。死別体験によって生じる心理的・身体的・社会的反応を指します。悲嘆というと心理的なものと考えてしまいがちですが、より広い範囲の概念になります。身体的反応としては、食欲不振や不眠、活力の低下、社会的反応としてはひきこもり、他者批判や過活動などがあげられます。死別による心理的反応というと、悲しみや絶望感などが容易に想像されますが、不安、怒り、罪悪感、孤独感、安堵感なども誰にも起こりえる自然な反応です。そして、様々な悲嘆反応に自らを適応させていったり、折り合いをつけていったりすることをグリーフワーク(喪の仕事)と呼びます。
私たちが死別の悲嘆を消化していくグリーフワークの段階には諸説ありますが、J.W.ウォーデンの四段階説 はシンプルで分かりやすいと思います。少しご紹介します。

①喪失の現実を受け入れる
その人が亡くなって、もう帰ってこないという現実と正面から向き合うことです。死の現実はなかなか受け入れがたいもので、現実の否認をともなう場合もあります。「明日起きたら、お父さんは生き返っている」なんてことを願ってしまうのもおかしなことではありません。

②悲嘆の痛みを消化していく
事実と向き合い死が現実になると、喪失感や後悔など悲嘆の苦痛が生じてきます。そんなときに安心して悲しめる場所・時間が大切だとされます。日本では、悲しみなどの感情を表に出さないことを良しとする傾向が今も、特に男性には見受けられますね。しかし、悲嘆感情を表出することは健全なこととされ、一方で感情を押し殺し、思考を止めたりすることは、喪の過程を長引かせることになると言われます。たとえば、親を亡くした二人きょうだいが、葬儀の席で、一人は表情を変えずにいて、もう一人は泣き崩れていたとしたら、普通は前者より後者の方が悲しみや喪失感が深いのだと見なすでしょう。でも、泣いていないから大丈夫というわけではありません。表情を変えずにいる前者の方が、悲しみを押し殺し、感情に蓋をしているために、喪の過程が長引く可能性も十分にありえるのです。

③故人のいない世界に適応する
遺族は、それまではいることが当たり前だった人がいない世界に適応していかなければなりません。たとえばそれまで家事全般を担っていた母親が亡くなれば、その担っていた役割を家族でやりくりしなければなりません。家計を支えていた人が亡くなれば、誰かがそれを補わなければなりません。それらの物理的な適応だけでなく、内面的な適応も大きな課題です。私たちは、誰かの関係において「自分」を認識する生き物です。たとえば、幼子を育てる母親は、子の面倒を見たり、子に求められたりするなかで「母である自分」を認識するでしょう。もし、その子が亡くなってしまえば、「母である自分」も失われる。その喪失感は関係が深いほど大きく、時に生きる意味さえ見失わせるほど。そうした内面の適応は簡単には進まないものです。

④新たな人生を歩み始める途上において、故人との永続的なつながりを見出す
ウォーデンは、心のなかに亡くなった人を適切に位置づけられたなら一つのゴールと言っています。「故人が見守ってくれている」、「こころのなかでいつも一緒に生きていく」などは、みなさんもイメージしやすいのではないでしょうか。

以上、ウォーデンの四段階説を紹介してきましたが、すべての人が同じ段階を踏むわけではありませんし、段階を踏まなければいけないものでもないことはご留意ください。いつまでも家族の死を受け入れられない人もいますし、それも自然な反応なのです。

– 寺院を会場とした介護者カフェでは介護中の悩みだけでなく、介護を終えた遺族からグリーフが語られることもある。(米沢市・西蓮寺「わげんカフェ」)」 –

お盆も大切なグリーフワーク

さて、グリーフワークの視点で日本の仏事を見てみますと、とても理にかなったものと思えてきます。臨終後の枕経、通夜、葬儀などの葬送儀礼は、死別の現実を受け入れる機能を持っているでしょう。今は少なくなりましたが、通夜で遺体と一晩ともに過ごすという風習などはまさにそれですね。親族で酒を酌み交わし、思い出を語るのも悲嘆感情の表出になっていたのだと思います。そして、回忌法要を重ねて、過ぎ去った時間を振り返るというのは、徐々に故人のいない世界に適応していることを自覚する機会なのではないでしょうか。
あらためてお盆を考えてみると、この世からいなくなってしまった故人が毎年しっかり戻ってきてくれる。そして、ともに食卓を囲み、おもてなしをして、「また来年ね」とお見送りをする。まさに「故人との永続的なつながり」を実感し、「心の中に亡くなった人を適切に位置づける」行事ではと気付きます。
みなさんもお盆には、親しい亡き方々と、ともに楽しい時間をお過ごしください。

J.W.Worden:悲嘆カウンセリング―臨床実践ハンドブック(山本力監訳),誠信書房,p38-54,2011.

2023.08.01