今回も前回に引き続き、BSR推進センターで実施したウェブ調査「寺院における新型コロナウイルスによる影響とその対応に関する調査」の分析結果を報告したい。なお、すでに昨年12月に第2回の調査を実施しているが、本稿は昨年5月に実施した第1回調査の分析結果についての報告となる。また、紙幅の関係で全ての設問・回答を紹介できないので、詳細は本HPに掲載中の報告書を参照されたい。
施主としての檀信徒の悩み
まず、「(7)檀家・門徒・信徒の方々からの新型コロナウイルスに関する相談を受けていますか。あれば、具体的に教えてください」には、247名が回答をしている。やはり圧倒的に多いのは、葬送儀礼(法要)に関する相談だ。名詞の頻出度数を見ても、「法要」「法事」のほかに「延期」「不安」「中止」「自粛」が上位に入る。(グラフ①)
グラフ①
「法事は命日を過ぎても大丈夫かとの問い合わせをいただきので、大丈夫ですよと答えています」、「法事をしたいけど、娘が遠方だから呼べない。けれど参列して欲しいから延期をしたい」といった回答のように、法要を延期すべきか、中止にすべきかといった内容が多く見られる。
また、法要=人を集める行事の主催者としての施主の悩みが垣間見れる回答も多い。
「年忌法要を場所、人員、時間など、縮小変更して行いたいが、どの辺まで縮小すればいいのか、どのように接待すればいいのか、などの相談」
「今の状況ではあるが、家族だけでも法事はやりたい。法事に子供を連れて行ってもいいか。遠方から親戚が来たいと言っているがどうしたらいいか」
法要を行えば、短時間とはいえ、三密状態にもなるだろうし、会食も伴えばリスクも高まる。どこまでが安全なのかという線引きが誰にも分からない中で、檀信徒が悩んでいることが分かる。
なかには次のように法要以外の相談を受けている僧侶もいる。
「精神的な不安を訴える方が多くなった。月参りなどは思ったより減っておらず、待っていてくださる方が多い。それを受けてお話の時間を多くとるようにしている。」
「経済的な心配、飲食店の方、もう政府の救済処置も間に合わない。自暴自棄になられる方もおられます」
「家族と、顔を突き合わせなければならない苦痛。あまり仲が良くない家族で、仕事があれば、顔を合わせなくて無難に過ごせていたのに、今の現状で、余計仲が悪くなる」
「ご老人は、このコロナによる自粛で体力と精神力が落ちて、認知症が進んでしまっています。月参りや法事で、外部の人に合わないと、認知症が進んでしまっているという感じがします。また、そうなっても、なかなか医療につながることも憚られると言っていました。」
これらの相談は、法要以外でも日常的にコミュニケーションを取っているからこそのものであろう。
多くの寺院に共通する懸念
「(8)新型コロナウイルスの影響を受けて、今後の法務にどのような変化があるか、気になっていることや心配なことを教えてください」には373名が回答。回答に出てくる言葉の連関を示すものが図①になる。
図①
簡単に分類すれば、「年忌法要・月参りの減少、お盆や施餓鬼法要の参加者の減少」、「仏事への影響が元に戻るのか不安」、「寺院収入の減少への危惧」、「中止・延期した行事の再開」、「法事・葬儀の簡素化・簡略化の進展」、「寺離れや法要簡略化の加速化」、「コロナ禍による寺院を取り巻く環境の変化への対応」、「行事・法要を中断すると途絶えてしまう不安」となるだろうか。全体的に、緊急事態宣言下で、法要の延期、行事の中止が余儀なくされ、簡素化・簡略化が進むのではないかという不安、ひいては寺院経営がひっ迫するのではという不安が多くの寺院に共有されていることが分かる結果である。
図には出ていない中では、「オンラインではそこに繋がれる人が限られる面がある。PC・スマホの扱いに慣れない高齢者など。そうした方を切り捨てる側面もあると懸念する」といったオンライン化の流れへの危惧を示すもの、「仏事を自主的に取り止める寺院がある事を危惧している。そういった行動は、寺院自ら『仏事は不要不急のもの』と言っているのと同じ。参拝が無くてもすべきであり、法事中止の要望がある場合は応じるべきだが、自ずから言うものではない」と寺院側の自粛判断に疑義を呈するものなどが目を引いた。
アナログの価値の再発見
「(9)新型コロナウイルスの影響を受けて、新たにはじめたことがあれば教えてください」には244名が回答した。その中で最も多い回答は、オンライン対応であった。検討中を含めると半数近い112名がオンラインでの発信に取り組んでる。その内容は、Facebook、TwitterなどのSNSを利用した情報発信、メールやLINEによる法要動画・墓参画像の送信、ホームページやYouTubeでの動画配信、zoomを利用した法要の生中継など多岐にわたっている。なかには、「インターネット回線を持たない上に寺に参れない高齢門徒のためタブレットを複数台購入。コロナ期間中はそれを使って法座や会合を開きます」という回答も見られた。
次に多かったのは、「無参拝法要・代理参拝」の31名。檀信徒がコロナ禍のために参集を断念し、住職に法要や墓参を依頼しているのだが、寺院側も「遠方の檀家さんの法事を頼まれ、法要中の写真や法話を書面で送付した」「来寺にて年忌供養を行う予定だった方にお勤めを録画してDVDを渡した」と法要を証明するようなものを檀信徒に送付している。対面というコミュニケーションが断たれたなかでも、極力、コミュニケーションを維持しようとする姿勢が推察されよう。
コミュニケーションという観点から注目したいのは、3番目に多かった「寺報・郵送物」(26名)だ。コロナ禍でオンライン化に注目が集まった一方で、お便りといういわばアナログ媒体の価値も再発見されたのではないだろうか。「孤独感や無聊の慰めとなればと思い、写真を添えた法話と粗品を定期的に郵送し始めた」、「檀徒には郵送で見舞いの手紙を送った」ときめ細かな対応がうかがえる。寺院を支える檀信徒の多くは、高齢者であり、オンライン化に取り残されてしまう可能性が高いこと考えれば、お便りや写経の配布(12名)、電話(4名)などのコミュニケーションの意義はあらためて見直されて良いのではないだろうか。
「(11)あなたが現在までに取り組んでいることについてお尋ねします。新型コロナウイルスに関して、檀家・門徒・信徒を問わず、人々にすでに伝えていることはありますか。あれば、どのような方法でどのようなことを伝えているか教えてください」には316名の回答があった。過半数を優に超える僧侶が、不安・混乱にある人々に向けて、メッセージを発信しているということになる。
どのような手段・媒体を利用しているのか、回答中に明記されているものをカウントしたものが表①になる。ここでも、前項に引き続きアナログ媒体の活躍に気が付くだろう。ウイルス感染拡大から数か月でのアンケートのため、その期間に即座にオンライン化に取り組めなかったという寺院も多かったと思われるが、紙媒体や口頭という既存の手段をフル活用している。
ここで「(12)あなたが今後取り組んでいきたいと考えていることについてお尋ねします。新型コロナウイルスに関して、檀家・門徒・信徒を問わず、人々にこれから伝えたいと思うことはありますか。あれば、どのような方法でどのようなことを伝えたいか教えてください」の回答から抽出した手段・媒体をカウントした表②と比較してみると、紙媒体・口頭とオンラインの比が、「これまで」と「これから」で逆転していることが分かる。現時点では、現実的で可能な手段を使用し、今後はオンライン化にも取り組んでいこうとする寺院が多いものと考えられる。
地道な取り組みが今後に活きる
問(11)、問(12)は、不安にある人々へのメッセージ発信こそ仏教者の社会的責任であろうという考えのもと、地味で地道な活動を収集しようという目的で設問したものであるが、想定以上に多くの回答が寄せられた。メッセージの内容は「コロナ禍のなかでの寺院の方針」、「手を合わせること、祈ることの大切さ」、「仏教の教えにもとづく心の持ち方」、「仏様の尊さ」、「日常のありがたさ」、「歴史上の疫病と仏教の関わり」、「情報に踊らされ、いたずらに差別や不安を持たないこと」、「利他精神の大切さ」など多岐にわたる。
緊急事態宣言下でのアンケート調査で、その回答からは、僧侶にも檀信徒にも、先の見えない不安や戸惑いがあることが明らかであった。しかし、多くの寺院が檀信徒に寄り添うように、心を込めたメッセージを発信している様子も判明した。こうした地道な取り組みは、寺院への信頼を醸成し、ウィズコロナ、アフターコロナの時代にも、揺るぎない寺院の基盤になるのではと思わせるものである。
日常と非日常は断絶されているのではなく、地続きだ。コロナ以前の各寺院の真摯な取り組みは、コロナ禍という非日常においても当然活きてくるだろう。逆もまた真なりで、怠惰であったなら、非日常のなかで檀信徒の心は一層離れてしまうだろう。コロナ禍での取り組みもまた日常に戻った時に活きてくるはずだ。
地域構想研究所では、本アンケートを継続的に行い、変化を追っていく予定である。引き続きご協力をお願いして、筆を擱くこととする。