この15年で日本の産業構造はどう変わったのか?

著者
大正大学 地域構想研究所 主任研究員
中島 ゆき

いよいよ新元号「令和」が始まりましたね。このタイミングで、先月は「平成を振り返る」という企画で、本HPで紹介した「平成で新たに誕生した職業」と「消えた平成の職業」を雑誌やWEBニュースサイトで取り上げていただきました。

その際に、「産業変化の面からみると、昭和・平成はどういった時代であったのか、さらに令和はどのような時代になるのか」といった質問をいくつかいただきました。

そこで今回は、「産業構造の変化」という観点で、統計データから読みとる時代の変化を、そして令和時代の産業のキーポイントについて考えてみたいと思います。

昭和は「農業国から、工業化へ」構造変化の時代

産業構造の変化を大枠で捉えるのには、国勢調査がむいています。国勢調査とは、「統計法という法律に基づいて、日本に住む全ての人・世帯を対象として5年に一度実施する国の最も重要な統計調査」(統計局HP「国勢調査に関するQ&A」より抜粋)です。人口、世帯数だけでなく、産業別・職業別の就業者数や就業状態も把握することができるため、日本の産業構造を把握するのに適しています。

日本で最初に同調査が実施されたのは1920年(大正9年)で、今からおよそ100年前になります。当時、日本で最も大きな割合を占めていたのが第1次産業で53.8%(図1)と、働いている人の半数以上が農林水産業に携わっていました。明治維新後、急激に工業化がすすめられてきましたが、大正時代から昭和初期まではまだまだ農業国家であったことがわかります。

昭和の時代を象徴するのは、高度経済成長期の構造変化と言えるでしょう。産業構造が統計上で大きく変化したのは1960年(昭和35年)から1980年(昭和55年)の第1次産業の激減と、第2次・第3次産業の急増による逆転です。
同時期は、1954年(昭和29年)に「神武景気」と呼ばれた好景気を皮切りに、日本の戦後高度経済成長が始まります。さらに「岩戸景気」、池田内閣による「国民所得倍増計画」、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博と、日本の経済成長は目覚ましく、特に第2次産業の重化学工業による生産性の向上により一気にGDP世界第二位にまで上がったという時代背景です。

産業別就業者割合の推移(図1)で見てみますと、1960年(昭和35年)に第1次産業は32.7%、1970年(昭和45年)には19.3%にまで減り、最も少ない割合にまで産業構造が逆転しました。第2次産業は1960年(昭和35年)に前調査対比133%となる29.1%の急増を経て、1970年(昭和45年)には34.0%とこれまでの中で最も大きな割合を占めるにまで至りました。
これに伴い第3次産業も拡大し、1960年(昭和35年)は38.2%と、日本は第3次産業が最も大きな割合を占める国へと産業構造が変化した年でもあります。その後、第2次産業は横ばいの時代が続きますが、第3次産業は年々増加傾向ですすんでいき、昭和後期から平成にかけて、第3次産業の就業者割合は全体の半数を超えるにまで拡大しました。

 

(図1)産業別就業者割合の推移

 

平成は「ITに代表される知識産業の到来」

平成に入り、第3次産業、すなわちサービス業の割合はますます増加していきました。特にその増加率はこの15年で加速しています。平成の時代を考えるには、このサービス業の拡大をさらに深堀する必要があります。
それでは、この15年のサービス業拡大の中でも、具体的にどのような産業が増えているのかをみてみます。(図2)は2003年から2018年の産業別就業者割合の推移をグラフで表したものです。第1・2・3次産業をさらに18種に細分化し、どの産業が拡大し、どの産業が縮小しているのかを表しています。

(図2)産業別就業者割合の15年間の推移

 
これによると、最も就業者割合が拡大しているのは、「医療,福祉」で+4.5ポイント、次いで「情報通信業」+0.7ポイント、「教育,学習支援業」+0.5ポイントとなっています。
一方で就業割合が最も縮小しているのは「製造業」で-2.7ポイント、次いで「建設業」-2.0ポイント、「卸売業,小売業」-1.3ポイントとなっています。

全体での順位としては、「卸売業,小売業」が「製造業」を逆転し、現在最も就業者割合が高い産業となっており、また、2005年時点で3番目であった「建設業」が「医療,福祉」に席を譲り、逆転しています。
平成の時代背景として、やはり高齢化の影響による産業構造の変化は大きく、「医療・福祉」の分野で就業者が急増していることが分かります。またプラスになっているのは全て第3次産業で、第1次、第2次産業は軒並みマイナスになっているという特徴がみてとれます。

また、「情報通信業」や「教育,学習支援業」といった分野の拡大は平成の時代を象徴する一つと言えるでしょう。すなわち、知識産業と呼ばれる新たな領域の誕生です。平成の時代は、情報革命によって産業構造の変化が知識産業化へ大きくかじ取りした時代であったと言えます。
一方で、グローバルでみた場合、日本の知識産業による生産性の向上やイノベーション分野ではあまりよい結果が表れているとは言い難い状況です。

令和の時代、キーワードは「知識産業のあり方」

ITによる世界の競争力を指標化したものに、世界経済フォーラム(WEF)の世界ITレポート(The Global Information Technology Report)というものがあります。同調査の最新、2016年によると、日本は10位でかろうじてTOP10に入っています(表1)。

(表1)IT国際ランキング

 
ここ数年はシンガポール、フィンランド、スウェーデンが上位に入ることが多く、トップ10も顔ぶれがほぼ同じです。日本が最もランキングが低かったのは2010年の21位で、それよりもやや持ち直しているようです。

同調査は、IT競争力はネットワーク化対応指数(The Networked Readiness Index)としてスコア化して評価しており、評価の項目は4分野・10カテゴリーを52項目で構成しています。世界各国の企業トップへの調査と各種指標のハードデータで各項目を評価しているものです。

その項目別の日本のスコアの詳細をみてみると、ビジネス現場での使用については評価が高い傾向になっている一方で、ビジネスとイノベーションの環境というカテゴリーでは最もランキングが低くなっています。

現在、令和の時代には「AIとデータ」をどう生かしていくのかが議論の中心となっています。前述したのはITによる世界の競争力ですが、それが進化し、さらにAIの競争力が問われるのが令和の時代でしょう。

その中で、キーワードとなるのは日本における「知識産業」の在り方ではないでしょうか。その点でみると、同調査の項目の中に「Share of workforce employed in knowledge-intensive activities (%)」、すなわち「知識集約型活動に雇用されている労働力のシェア(%)」という項目があります。この項目で、日本は調査対象139か国中の58位となっています。知識集約型活動は、ここでは「管理者、専門家、および技術者」と定義して集計されています。この定義が各国でやや異なることもあり、簡単な比較やランキングに惑わされる必要はないでしょうが、日本における知識集約型の人材育成・活用が世界的にみて遅れていると言わざるを得ないのは実情ではないでしょうか。イノベーションのビジネス環境においては上位に位置するにも関わらず、人材の育成・活用が遅れているという点は大きな課題の一つといえそうです。

次回は、このランキング調査からみた日本のIT競争力について、令和の時代の競争力について考えてみたいと思います。

2019.04.26