登米市地域おこし協力隊(移住・定住支援員)
丹菊 龍也
東京の小僧、東北へ行く
こんにちは。現在宮城県登米市の地域おこし協力隊の隊員として活動している丹菊龍也と申します。東京都目黒区に生まれ育ったわたし。地域で自分の話をすると、「シティーボーイだ!」「なんでこんな田舎に?」といった言葉を投げかけられます。東京のしがない男が東北に心惹かれて移住し、今何を思っているのかお届けできたらと思います。
中学まで私は東北には何の所縁もありませんでした。父は岐阜、母は東京の生まれです。小学校中学校は野球しかやってこなかった私でしたが、2012年の春、入学した高校が宮城県仙台市のとあるスポーツが強い高校でした。訳あって1年目で退学することになるのですが、2013年に地元に戻り2度目の高校入学となります。入学までの時間をなんとなく過ごしていたそんな時、母からこんなことを言われました。
「暇ならボランティアでもしてきたら?」
2011年に発生した東日本大震災。当時中学2年生だった私は、卒業生を送る会を終えて教室に戻っていました。その時、これまで経験したことない揺れがやってきました。慌しく駆け込んできた担任の先生が、「お前ら早く机の下に隠れろ!気仙沼はもっと大変なことになってるんだ!」と、先生の叫び声は、今でも鮮明に覚えています。
東北の強さ、自分の弱さ
ネットでボランティア団体を検索して、たまたま目に入ったとあるボランティア団体に申し込み、初めて南三陸の地を訪れました。いろんな大人の方に囲まれ、東京からバスに揺られて8時間。目に映りこんできた情景は、シーンと静まった静寂の世界でした。「何もない」と思ったのと同時に、何もできなかった、知らなかった自分の他人事感覚を痛感しました。何も経験していない自分が、ここで何ができるのか不安になりながらも、何かしなければという思いに駆られました。
しかし、そんな思いとは裏腹に、地域の方は元気いっぱいに私たちを迎えてくれました。想像し難い経験をした皆さんが、私たちより元気に接してくれている。その姿を見て緊張した心はだんだんほぐれていきました。そして、夜のミーティングでの団体の方のお言葉。
「ボランティアはここに来るだけで活動の7割は達成している」
「ボランティアバスが定期的に来ることで、地元の人はまた来てくれたって励みになるんです」
不安と衝動が入り混じっていた自分の気持ちは、地域の方の温かさや団体の方の力強い言葉、同じボランティア仲間の優しさによって、徐々に変わっていきました。
二度目の高校生活への葛藤や親との衝突から、大阪でたこ焼き屋をやるんだと家を飛び出すこともあり、とてもくすぶっていた時期でした。しかし、ボランティアを通して、南三陸の人の温かさや笑顔、元気に触れることで、私の心は次第に明るく前向きになってきました。そして気が付くと南三陸は、私の第二の故郷になっていました。ボランティアを通して南三陸のことが大好きになり、それ以降足しげく通うようになりました。
いざゆかん、地域創生の道
高校3年生になり、進路の選択が求められる時期に入りました。私は鉄道会社への就職を希望し、就職活動に勤しんでおりました。しかし、結果は惨敗。それなら専門学校に行こうと思っていたところ、父が大正大学で新設される地域創生学部の案内を新聞で見つけ、この学部が合っているんじゃないかと言われたこともあり受験しました。そして無事に入学でき、大正大学地域創生学部での4年間が始まりました。学部特有の約40日間の地域実習や、個人の活動などで南三陸とはその後も継続した関係を築いていました。
そのようななかで、ボランティア時代にお世話になっていた気仙沼市にある老舗銭湯「亀の湯」さんが、嵩上げの対象地域に入り立ち退きが決まったことを知りました。131年の歴史に幕を閉じることになったのです。亀の湯の女将さんからは、究極のおもてなしと銭湯を通したコミュニティの輪の拡がりを学ばせていただきました。亀の湯は、地域の方々の大切な場所であるだけでなく、ボランティアたちにとってもなくてはならない癒しの場所でした。
震災後も変わらず気仙沼の町を照らし続けてきた場所がなくなるのは悲しい気持ちになりました。そして、ボランティア仲間の方から「継いでやってみたら?」と言われましたが、この時点では決心がつかず。一方で、この経験からなんとなくですが銭湯の道を志すようになりました。
銭湯を通した地域創生へ
南三陸との関わりは、以来ずっと途切れることはなく、この町で何かしたいと思っていましたが、周りの人が凄すぎて自分みたいなやつに何ができるだろうと模索していました。しかし、銭湯の魅力と価値に気づいた後は、いつしか銭湯を通して南三陸で恩返しをしたいと思うようになりました。
そんなこんなで、今は縁あって南三陸町の隣にある登米市にて、地域おこし協力隊として、移住・定住の促進に関する活動を行っております。そして、協力隊の活動の傍ら、個人で移動式サウナの運営も行っております。将来の銭湯開業の夢に向けた足掛かりとして始めました。
協力隊も、サウナも、今私がこうしてここに立っていられるのも、出会った方々の支えがあってこそです。ボランティアを通して人と人とのつながりの大切さについて強く意識するようになり、感謝する心の尊さを学ばせていただきました。
いただいたご縁を大切に、いただいた恩を少しでも返していけるよう、自分の持った夢を必ず実現できるよう、思い切り人生を楽しんでいきます!
「地域創生は1日にしてならず。されど為せば成る。」
先人たちがつないできたこの世界を、より良いものにできるよう、頑張っていきましょう!