【卒業生寄稿】大学時代の経験が、今の移住へつながる

株式会社はなぶさ
プロデューサー 星野由梨

もし大学時代に南三陸町に訪れていなかったら、私は今どんな生活をしているのか、まったく想像がつきません。私は南三陸町に移住して、南三陸町で働いているのですから。

私が南三陸町に初めて訪れたのは大学1年生の夏休みでした。東北再生私大ネット36に参加したことがはじまりです。参加した理由は、私自身小学生の頃に被災経験があったことで、東日本大震災の被災地の復興に関心を持っていたからでした。

南三陸ツアー参加時の写真

初めて現地を訪れたとき、まだまだ復興の途中なのだなと感じたことを覚えています。バスの窓から見えたのは何もない土地や造り途中の道路ばかりで、震災前はどんな風景だったのかまったく想像ができませんでした。けれども、現地の方がつらい被災体験を一生懸命伝えようしている姿に心打たれて、その年の冬休みにも足を運びました。その時、他大学の先輩がインターンとして南三陸町と関わっていると知り、私も学部2年生のときに、いりやど(一般社団法人南三陸研修センター)で2週間のインターンを行いました。

インターンの際に関わった私大ネット

夏休み期間のため、大学の研修やゼミ合宿で訪れる方が多く、引率や記録などの仕事を主にさせてもらいました。研修の調整やイベントへの参加で、町の人と出会う機会も多くあり、移住した方が多いことを知りました。自分の生まれた場所から離れ、熱意を持って活動している姿に憧れを抱いたことを覚えています。そして、町の人は移住した方を昔からの友人のように暖かく迎えている様子も感じられました。大学時代のこの経験により、転職と移住を決めた時に不安はまったくありませんでした。

以前、私は福島県のホテルに勤めていました。オープニングスタッフとして入社し、2年目に社内のトレーナー試験に合格、3年目にトレーナーとして新卒指導を担当するなど責任ある仕事も任せてもらいましたが、2年目の終わりごろから、トントン拍子に上がっていく自分のキャリアに心がついていかず、転職するか、このまま会社で昇進することを目指すのか、自分のこれからの人生について悩んでいました。また、責任に対する重圧から常に仕事のことを考えていて、心に余裕のない生活に辛さも感じていました。

新卒指導が一段落ついたところ、偶然にも南三陸町でお世話になっていた方から今の仕事に誘っていただきました。大学時代に南三陸町で見た、自分の人生を楽しく生きていた方々を思い出し、私もそういう生き方がしたいと思い、そこで転職と移住を決めました。

今年の4月から南三陸町に移住して、株式会社はなぶさに勤めています。はなぶさは映像制作やWEB制作など、デザインプロデュース全般を仕事にしています。

はなぶさ外観

現在4人でやっている会社なので、撮影や映像編集、画像編集やWEB制作など、いろんな仕事をさせてもらっています。その中でも私はプロデューサー(営業部)として、お客様の依頼を伺って企画や提案、撮影や納品のスケジュール管理などを行うことが主な仕事です。

はなぶさでの集合写真

南三陸町に転職・移住したことで、私の生活は大きく変わりました。まず、生活の質が上がりました。仕事では毎日いろんな人に会い、仕事を依頼される際には最前線で働く方々から掲げている目標やそれに至る考え方を直接伺うことができます。その熱い思いに感銘を受けながら、自分も仕事を通じて力になれていることにやりがいを感じます。また、勤務時間が安定したことにより、生活リズムが一定し、プライベートの時間が増えました。趣味に使える時間も増え、自分のペースで将来を考えられるゆとりを得られました。

そして、人間関係の輪が広がりました。先輩移住者の方からイベントやボランティアなどに誘っていただいて、仕事で触れ合う機会の少ない町内の子供や県外の大学生と話すこともいい経験になっています。また、同じ時期に移住してきた同世代の移住者の活躍にも刺激をもらえています。引っ越しの際には家電を譲っていただいたり、夏になればウニやホヤ、野菜や惣菜をいただいたり、この町の人のあたたかさと優しさに助けられて過ごしています。

南三陸町はいきいきと挑戦する人も多く、またそんな人達をあたたかく応援し、協力する人もたくさんいる町です。この地へ移住してきたからには、私も何かに挑戦してみたいと思っています。この町を大学時代に知り、そして今、移住して暮らしていることに大きな縁を感じます。

 

2021.12.15