南の島々

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

南の島には不思議な魅力がある。訪れ始めると、癖になる人が多いように思う。その裏にあるのは、ある種の感情、というより気分に近いものである。

個人的なことだが、幼い頃から真夏の昼下がりに、人気のない街路に出て感じたのは寂寥感である。極度に強い陽光にぎらつく風景に人けのなさが強調されて、寂しさという気分を生み出す。気分とは気まぐれ、一過性の動きやすいものと理解されているが、近年の心理学ではむしろ気分の上に喜怒哀楽のようなさまざまな情動が乗る、脳機能の基礎的な状態と解されているようである。

中島敦『光と風と夢』を高校生の頃に読んだ。ロバート・ルイス・スティーヴンソンのサモアでの在住記である。本人の日記をもとにした中島敦の創作であるが、『宝島』のような物語的な筋があるわけでもなく、これといった事件が起こるわけでもないにもかかわらず、私に強い印象を残した。この小説は晩年にスティーヴンソンが目指した美辞麗句を避けた簡潔で力強い文体を、中島敦が代わりに引き受けたかのようである。この書物に感銘を受けたのは、右の寂寥感を起こす気分に通じるからではないかと思う。基本的な気分が一致するのである。

スティーヴンソンも中島敦も南海の島に住んだ。それには好みというより、それぞれの身体的な必然性があった。スティーヴンソンの持病は結核で、当時はほとんど「咳と骨」状態だったと書かれている。中島敦は喘息で、その療養を兼ねて、当時日本領だった南洋の島に奉職する。

私にはそうした南島に住む必然性はない。ただ南の島は好きで、やはり繰り返し訪れたくなる。医学部を卒業した二十五歳の時、インターンの非公式な一部として、東大伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)の佐々学教授の下で、フィラリア検診団の一員として、奄美大島と沖永良部島に合わせて一カ月、滞在したことがある。再度訪れる機会を持ったのはなんとその三十五年後だった。現職で働いている間には、一切南の島に行く機会も、その気持ちもなかった。

スティーヴンソンは後悔について、したことに後悔はないが、しなかったことに後悔が残るとしている。しなかった以上、もししていたらどうなっていたか、という答えのない疑問が残る。私自身は二十歳の時に、ハワイの博物館に来ないかという誘いを受けた。行かなかったが、ハワイも南の島である。べつに後悔はしていないが、今になると、自分が自分の思うように人生を生きようなどと、いかに思っていなかったか、それがしみじみとわかる。それならお前の人生とは何だったのかと訊かれたら、行き掛かりだと答えるしかない。ただ南島への憧憬はいまだに残っていて、今年も奄美に行こうかと思っている。

虫好きは沖縄をはじめ南西諸島が好きで、間もなく世界自然遺産になる領域がとくに好まれている。北海道から屋久島に至る日本列島とは生物分布の大わけが違うからである。前者はいわゆる旧北区、沖縄以南は東洋区に属する。両者の境界は古くから論じられており、とりあえずトカラ列島のどこかを通ることになっていたと思う。
世界遺産に指定されると、虫採りには厄介なことになるので、虫屋には歓迎されない。いわゆる自然保護については、言いたいことはいくらでもあるが、言ってもしょうがないという気がするので、最近この話題に触れることはない。今後南島に行く機会があれば、「光と風と夢」という気分で過ごすことになりそうである。

 

●撮影:島崎信一

(『地域人』第72号より)

2021.12.15