政治の原理原則

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

政治には以前からまったく関心がない。この齢になると、それがいいことではないと思うようになるが、今更どうしようもない。家内がときどき政治家の話をするが、ほとんど聞いていない。

選挙は嫌いで、大学に勤務していたころの教授選の経験しかない。それについては良い思い出はない。当然ながら、選挙制度はある枠の中で進行するものである。問題がその枠自体に関わる時は、枠の中では解決しない。その枠内で最善の結論を出せばいいというところまで、自分が妥協できればいいが、若いうちはそれができなかった。

枠自体が壊れてしまったという体験は、まず小学校二年生の時の終戦である。次は大学紛争だった。この時期は一年間にわたって、研究も教育も止まってしまった。私は助手だったから要するに立場はフロクである。そのフロクたちが集まって議論をした。その議論が何を生んだかというと、たぶんゼロだった。私にしてみれば、ただ相手の論法をよく理解しただけである。このときにただ議論だけしていたことが、のちに自分が文章を書くようになる訓練になっていたのかもしれない。

政治の問題はしばしば言葉が先行することである。小学校二年生以来、私は一面で言葉を信じなくなった。私が関心を持つのは、言葉とそれが示しているはずの「実態」との関係である。そういうことを気にし始めると、政治は考えられなくなる。トランプ現象を見ていると、大学紛争によく似ているなあと感じる。その渦中に入って、あれこれ考えるのはもうたくさんだという気がする。

地方自治については、香港問題が典型であろう。北京政府にしてみれば、香港の自治が気に入らない。私は放っておけばいいじゃないかと単純に思う。その結果本土に何か問題が起これば、それ自体を解決すればいい。何が起こるか、起こってみなければわからない。政治はおそらくそれを嫌う。無責任だというであろう。議論上だと、ここで登場するのが原理原則である。原理原則は頭でわかりやすいのが問題で、それを持ち出されると、具体的な上手な解決策が封じられてしまう。大学紛争中の議論が典型だった。全共闘が赤軍派の事件で終わったのは象徴的である。反対派を排除するしかなくなったのである。戦時中なら「お国のため」である。そんなの無理だよなあという日常感覚が原則に押し切られてしまう。

私は原理原則が登場したときは黙ることにしている。黙って横を向く。それができなくなるような状況には遭いたくないし、その意味では社会には常に「逃げ場」が必要だと思う。

箱根の別荘にて。                撮影●島崎信一

(地域人第67号より)

2021.04.15