巡礼

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

巡礼という文化は、いつでも、どこでもあるらしい。現代の若者も、パワースポットに行くとか、御朱印を集めるために、神社仏閣や道の駅を訪問するとか、とくに用事はないと思うのに、あちこち動き回っている。宗教色は薄れたみたいだが、それは表面的なことで、心の奥で宗教的な雰囲気を求めることは、昔も今も変わりがないのだと思う。

しばらく前になるが、コリーヌ・セロー監督のフランス映画『サン・ジャックへの道』が面白かった覚えがある。母親の遺言で、田舎の邸宅を遺産として受け取る資格を得るには、フランスでいう「サンジャック」、つまりスペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」への巡礼を果たさなければならない。そこで仲の悪い二人の兄弟と末の妹が巡礼に出ることになる。巡礼団なので、他に多彩な登場人物たちがいて、なかにはイスラム教徒まで含まれている。

気の利いたフランス喜劇である。おかげでフランスではまだ巡礼が行われており、巡礼宿も慣習的に残されていることを知った。まさに四国のお遍路さんと似たようなものであろう。

大学時代の春休みに、四国を旅行したことがある。目的は虫採りで、一人で山中を歩き回って虫を採る。地域の宿に泊まるのだが、それには四国は便利なところである。遠方から旅人がやって来て、ウロウロしていても不思議ではない。泊まる場所には不自由はないし、田舎道を歩いていると、軽トラが乗せてくれることもあった。だから四国が好きになって、大学を辞めてから十年くらい、四国に虫採りに通った。

地図で見ると、四国は小さい島である。でも、中の地域性が強い。それは人ではなく、虫のことである。あの一見小さな島の中で、虫の種類が地域的に違ってしまう。いったい四国をいくつに、どう分けたらいいのか、今でも悩んでいる。

吉野川もよく見ると変わっている。徳島にそそぐ前に、二度ほど直角に曲がる。曲がりの間に四国山地を横切る。だから大歩危、小歩危の名勝が生じる。でも山脈を横切る川というのは、どう考えてもヘンではないか。

太平洋には室戸岬と足摺岬が突き出している。虫から見れば、両者はまったく似ていない。足摺岬にいる虫が、室戸岬にはいない。室戸にいる虫が足摺にはいない。四国の西と東はかなり違うのである。

西四国の川にはイシドジョウという魚がいる。似た仲間のドジョウは、島根県の益田に流れ出る高津川にしかいない。古くは西四国と島根や山口は地続きだったらしい。間に瀬戸内海が陥没してできたので、今は分かれてしまっただけのことらしい。

四国のお遍路さんがどうして発生したのか、私はよく知らない。でも自然条件がかなり地域的に違っていることを、昔の人はなんとなく気づいていたのかもしれない。違いがわかる人には、単に似たような土地を巡る旅行ではなくなるからである。それは気候の違いだけではなく、地質的な歴史の違いである。縄文土器には型式の区別があり、日本列島がそれで色分けできる。その区分がオサムシの地域区分に似ていると、中村桂子さん(JT生命誌研究館館長)に教わったことがある。

同じように旅をし、同じように見て歩いても、見えるものが違ってくる。これが旅の醍醐味の一つであろう。今は行って帰るだけの旅が多い。あまり面白くありませんね。どこでもいいから巡礼に出たくなった。途中で死んだら、それで本望である。

撮影●島﨑信一

 

 

2020.04.01