岩波書店の月刊誌『科学』2022年7月号は「富士山噴火に備える」という特集号である。私は箱根の仙石原に研究室を置いて、昆虫の標本を保存しているので、富士山が噴火したら、万事あきらめると公言している。いまさらよそに移ったところで、日本国内に災害からのがれられる場所なんかないと思うからである。標本には新種記載で使用したタイプ標本も含まれているが、これらはすべて大学に寄贈してある。いま調べている対象は、もちろん手元に置いているが、こういうものが天災で失われるのはまさに仕方がない。
天災は備えが重要だというのが常識だと思うが、その時期や程度がわからない。東南海地震については、京都大学の元総長、現静岡県立大学学長の尾池和夫先生が以前から2038年説を主張しておられる。その時に富士山が噴火する可能性は、現在よりはるかに高そうである。
こうした天災は事前の準備も重要だが、事後の復興が意外に考えられていないと思う。まあ損害の規模も、時期も不明だから、災害の後始末なんか知ったことじゃないというのが、現実的な考えかもしれない。しかし、大きな図式はあらかじめ考えておくべきだと私は思っている。とくに人心に与える影響は、その時はその時、で済ませられることではなかろう。
災害後の一時の錯乱(?)で、国家の重要な方針が違ってしまったりすることは、当然避けなければならない。背に腹は代えられないという切羽詰まった事態にならないとは言えないので、そこで指導者層がまさしくしっかりしていなければならない。それには長い目で見た国家の基本方針に対する国民の一致が存在しなければならない。
たとえば東南海地震を考えた場合、起こる時期に問題があるとすれば、その時の世界情勢であろう。たまたま世界食糧危機のような状態であれば、被災地の当座の食糧供給にも支障が出る可能性が高い。復興のための費用をどこから捻出するか、これも人口減少、人手不足の現況を含めて、考える必要があろう。
関東大震災の後、昭和に入って、いわゆる軍国主義が優勢になったが、これに震災による心理的影響が絡んでいるというのが私の仮説である。この国は「空気」で動くという有名な話があって、それなら災害による空気の変化を、あらかじめある程度読まなければならない。
尾池説が正しいとすると、余裕はもはや十六年しかない。この国の将来像は、すでにできていないと間に合わないと思う。四年ごとに選挙があったのでは、政治家にこういうことを考えてもらうには短すぎる。官僚に託すしかないであろうが、さて国民はそれをどう考えるだろうか。私自身も国民の一人だが、16年後には101歳、まあ生きていない可能性のほうが高い。いま何か言っても、10月のセミみたいなもので、ぎゃあぎゃあ鳴いても、仲間はとうに死んでいなくなっているし、時期遅れのくせにうるさいなあと思われるのがオチであろう。
本稿は静岡県がテーマのはずだが、つい地震の話になってしまった。箱根の芦ノ湖スカイラインを車で走ると、「静岡県に入りました。神奈川県に入りました」と何度も知らせてくる。道路が県境を走っているからである。山の中までずいぶんきちんと土地を区分しているんだなあと思う。こんな道路のわきで虫を捕らえると、採集地のラベルに静岡県と書くか、神奈川県と書くか、悩みそうである。それで最近はラベルにGPSのデータを入れることが多くなった。この種のラベルは正確だが、直感的にわかりにくい。というより、機械に相談しない限り、どこだかまったくわからない。地震の時期はわかったとしても、その規模、噴火のような副次的な災害の規模がまったく不明。人はどこまでわかれば満足するのだろうか。
撮影 坂本禎久
(『地域人』第86号掲載)