生粋の神奈川県人

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

鎌倉で生まれ、育ち、今でも住んでいるので、私は生粋の神奈川県人というしかない。箱根に別宅があるが、これも神奈川県。父親は福井県大野市の出身だが、母親は現在の住所表示では相模原市緑区、旧地名でなら津久井郡中野町出身で、そこに母と祖父母、兄の墓もある。

神奈川県という行政区分に、どのくらい意味があるのか、以前からよくわからない。たとえば鎌倉市の住民なら、東京都内へ通う人が多いはずで、仕事場と住居が県という行政区分では分離してしまう。私はその典型で、大学に入学したとき以来、鎌倉から東京へ通い、三十年以上にわたってその状態を続けた。途中に横浜、川崎という大都市が挟まっているが、個人の印象としてはこの二つが邪魔だなあ、という感じだった。首都圏という表現があるが、これが実質的な東京都であろう。

令和四年五月現在、鎌倉は観光客で賑わっている。修学旅行の生徒さんたちがとくに多い。NHKの大河ドラマの影響もあってか、ふだんより観光客が多い気がする。「鎌倉に住んでます」と言うと、「いい所にお住まいですね」と返されることが多い。鎌倉以外の土地に住んだことがほとんどないので、そうなのか、と思う。

それでも歳を経ると、自分が住んできた土地の影響を受けていることに気づく。朝起きて、まず緑や海が目に入るのは、気持ちの上で重要なことかもしれない。世界はヒトだけでできてはいない、と感じるからである。パソコンの画面を立ち上げると、自然の風景がまず見えてくるのも、それと関係するのかと思う。パソコンの世界に埋没する人たちも、まず緑の風景を見ようとするのかもしれない。

時代の変化も大きいし、さまざまな見方が可能だと思うが、三方を山に囲まれ、南が太平洋に開いているという狭い土地で育った癖が、自分にはついていると感じる。まず方向音痴である。鎌倉なら海と山のおおよその位置をいつでも把握しているので、自分がどこにいるか、ほぼ見当がつく。だから平坦な広い土地に行くと、すぐに西も東もわからなくなる。札幌と京都がそうで、しっかり意識していないと道に迷う。東京も方角のわかりにくい所で、学生時代から本郷の東大に通ったが、東大前の本郷通りが、南北に走っていることに長年気が付かず、東西とばかり思っていた。
神奈川県は東西で自然条件がずいぶん違う。中央の平地を切るのは相模川で、その西はやや標高が高い丹沢山塊と箱根火山、東は主に標高の低い多摩丘陵である。それに三浦半島がくっついている。

神奈川県の東側はフィリピン海プレートに乗っており、地史的には富士、箱根、伊豆や丹沢山塊はそちら側である。伊豆半島が典型だが、南の海からやってきて、本州と融合した地域と見られる。

こういう地史が昆虫の分布と並行していないかと思って、あれこれ調べているが、事情が複雑で簡単には結論が出ない。その点、伊豆半島が、島だった時の性質をいまだに残していることは間違いない。

神奈川県の昆虫については、小田原市在住だった故平野幸彦氏らのおかげで、良く記録されている。箱根と大山は明治時代の初期に日本の甲虫相を明らかにした英国人ジョージ・ルイスが採集をした土地でもある。ルイスは大山を「Oyama」と書いたので、小山と誤解されたこともある。

ルイスは自分の採集品を当時の欧州の各分野の専門家に渡したので、さまざまな専門家が日本の虫に触れることになった。ロンドンの自然史博物館には、ルイスの採集品が多く残されている。その中には、ビスケットの缶に入れた未整理標本まで含まれている。箱根の中では、宮ノ下とか木賀といった地名が記されているので、当時ルイスが訪れた場所がわかる。それは同時に、当時来訪した外国人たちが普通に訪問する場所でもあったであろう。

キイロネクイハムシは横浜の豊顕寺でルイスが採集し、当時のハムシの専門家ジャコビーによって記載された種である。その後、関西や九州でも見つかったが、数十年前から国内からの記録がなく、環境省により絶滅種と見なされていた。もし本当にそうであるなら、本邦における絶滅甲虫の第一号ということになるところだったが、最近、60年ぶりに琵琶湖で確認された。近年、この種によく似たキタキイロネクイハムシも北海道の釧路湿原で見つかった。

私自身が関心を持つのは、そういう珍しい種ではなく、どこにでもいる当たり前の虫である。こういう虫はいて当たり前なので、いない場合には、そもそもいないということに気づかないことも多い。気づいたとしても、いないことの証明はほぼ不可能に近い。探し方が足りないと言われたら、それまでだからである。一匹でも採れれば、「いた」ことになる。

その意味では「いる」と「いない」は論理的に等価ではない。絶滅種にも同じことが言えるわけで、絶滅したとされても、「どこかにいるかもしれない」と頑張り続けることはできる。

丹沢山塊にしても箱根火山にしても、標高はあまり高くない。そのため高地に生息する虫がいない。山梨県や静岡県、東京都ですら、標高二千メートルに達する山があるのに、神奈川県にはない。だから神奈川県で生まれ育つと、長野県などの高地で見られる虫に一種のあこがれが生じる。一度でも見てみたい、手にしてみたい、という気持ちが湧く。

箱根の別荘(養老昆虫館)も緑の中。
ゲンゴロウの彫刻は、彫刻家の佐藤正和重孝さんの作品 撮影 島崎信一

小学生のころ、長野県の霧ケ峰に友人と行ったことがある。牛糞でツノコガネを採った時のことをいまだに記憶している。当時は車社会ではなかったから、牛馬はいたるところにいて、いたるところに糞があった。それでもツノコガネのような虫は低地にはいなかったから、頭に長い角を持つ、いかにも糞虫らしいこの虫を採った時は興奮した。当時同行した友人はもういない。

神奈川の自然については慶應義塾大学名誉教授の岸由二の業績を特記すべきだろう。第一は三浦半島先端近くの小網代の保全だ。「流域」という地形に着目し岸は、その谷を含む開発計画に代案を提示し、源流から干潟まで流域丸ごと自然状態で保全する成果を上げた。人口稠密(ちゅうみつ)な首都圏内で自然のままの谷が一つ残されるという、大げさに言うなら奇跡を起こしたと言えよう。そのいきさつは複数の書物になって報告されている。

第二は鶴見川流域の総合治水対策を支援する市民組織の創出だ。岸は鶴見川の下流域で何度も氾濫を経験した。近年の豪雨下でも大氾濫を免れるようになったのは、国が中心となって進めた総合治水対策の成果だが、そこには岸が中心となって流域全域で展開された流域市民運動(TRネット)の応援もあった。その運動は流域各地で水辺や保水の森の大規模保全を実現し、「流域思考」という用語で理論化もされ、国土交通省が2020年から全国に発信している「流域治水」の展開にもつながっている。

(『地域人』第84号掲載)

2022.12.01