サイクリング

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

自転車は好きで、小学生のころから乗り回している。70歳になったころから、電動自転車にしたら、じつに楽になった。電動なら、ほとんどの坂を平地と同じように走ることができる。私が長年住んでいる鎌倉市は古い街なので、自動車に適した道路になっていない。自転車のほうが具合がいい。細い路地が多く、谷戸と呼ばれる小さな谷が多いから、坂も多く、上りを頑張ってみるものの、息が上がってしまう。そのため電動自転車を乗り回していたら、80歳の声を聴くころから、危険だからと、家族に自転車を禁止された。いまはほとんど乗ることはしない。

ジャパンエコトラックというものがあって、「トレッキング・カヤック・自転車といった人力による移動手段で、日本各地の豊かで多様な自然を体感し、地域の歴史や文化、人々との交流を楽しみながら、旅をする」と公式サイトに書かれている。私はその推進協議会の代表理事を務めている。主体になっているのは株式会社モンベルとそれぞれの自治体で、私はほんのお手伝いである。しかし、趣旨はまことに良いと思うので、企画の出発時から大いに賛同している。

ただし80代も半ばということになると、自分でそれぞれのコースを体験できるわけではない。今日もたまたまテレビの撮影で、鎌倉市内の源頼朝の墓に行ったが、階段を上り下りするだけで、ほとんど目が回った。日々年齢による体力の衰えを感じている。だから自転車がいいのだが、家族に余計な心配をかけたくないので、いまでは乗らない。

カナダのトロントを旅した時も、現地で自転車を借りて、家内と二人で走った。日本人は彼らの規格より体格が小さいので、乗ってみると、サドルが高い。ややおぼつかないことになったが、湖のほとりをたいへん気持ちよく走ることができた。平らな広い土地では徒歩よりも自転車の威力を痛感する。

日本という国は、可住面積当たりの人口密度がOECD加盟国中2位で、狭いところに人がひしめき合っているから、伝統的に徒歩が優先していて、道路事情もよくない。自動車は道路の整備でずいぶん走りやすくなってきているが、自転車はまだまだであろう。自転車の利点は人力で動くことであり、自分の筋力と五感を使って、徒歩より早く動ける。自分の身体を使うことが少ない現代人にとっては、走る環境さえ整備されれば理想的な移動手段の一つであろう。

オランダのように、平地ばかりで人口密度が高い国では、自転車がむしろ当然の交通手段になっている。若い人にはオートバイのほうが受けると思うが、人力でない推進手段は長い目で見ると、身体能力を衰えさせると思うので、感心できない。もちろん現代では石油エネルギーを使わないことが重視されている。エネルギー問題は長くなるので、ここでは議論しないが、日本はエネルギーをほぼ完全に輸入に頼っているので、国策として省エネはきわめて重要だと思う。

高齢者に向いた移動手段はないものかとよく感じる。転倒による骨折などの事故は、高齢者の場合、家庭内で生じることが多い。動くのがどのみち危険だとすれば、外出時でもある程度の危険は当然として覚悟しなければならない。高齢者にとっては生きていること自体が危険だということは、コロナでもよくわかったと思う。高齢は生命に関する第一の危険因子なのである。輪禍(車などにはねられたりすること)という言葉を見かけるが、自転車を使っていなければ、そういう事故にはならなかった、と断定できるわけではあるまい。

万事こういう具合で、自転車自体ではなく、状況を勘案すると、話がすっきりしなくなる。年寄りの議論はそうなりがちで、自分でも面倒くさいなあ、と思う。だから例えばスマートシティーになって、全体として最適な交通機関を考えよう、という結論になるのであろう。20年以上前ドイツに行ったときに、そういうことを考えている友人がいると、ドイツの知人に教えられたことを覚えている。AIのおかげで、その実現が近づいているらしい。そういう街に住むかと訊かれたら、住みたくないと答える。なぜか、とさらに訊かれたら、それは俺の考える街ではない、と答えるしかない。

(『地域人』第79号より)

2022.09.01