好きではないのは、新築の近代的なホテルに泊まることである。そう思うようになったのは、還暦を過ぎてからで、そもそもピカピカの新しい調度に囲まれて、薄汚い老人がいるというのは、なんとも不調和である。そうかといって、ホテルが古ければいいというものではない。じゃあ、どのくらいの古さがちょうどいいのか。そう思ったときに、ほぼ自分と同じ年齢の建物が好きだと気が付いた。
その理由の一つは、ホテルではないが、私が長年勤務した東京大学の医学部本館という建物である。これは昭和十二年(一九三七)に竣工しており、まさに私と同年齢だった。関東大震災が強く意識された時代で、部分的には無駄と思われるほど頑丈に造られていた。思えば私はこの建物が好きだったので、それは建物の形だけではなく、窓や床を含めた一般的な雰囲気が気に入っていたらしい。同年代の建物にはいわゆるなじみがある、ということであろう。
住宅でも新築のマンションなどは到底住む気がしない。なじむまでに時間がかかるに決まっている。八十歳を超えた現在、新しい環境になじむのは、もはや無理というべきであろう。都内に新しいビルがどんどん建つのを見ていると、やれやれと思う。なじめない世界が出現し、広がりつつある、という思いがある。
現代のオフィスビルは入りたくない、トイレに行くのも、カードが要るような生活には慣れそうもない。
つい先日、宝塚に行った。生まれて初めて宝塚歌劇というものを見ているうちに、思わず涙が出そうになった。歌劇に感激したわけではない。ああいうものを、関西という土地柄になじませようとした先人の努力を思ったのである。思えば、明治維新から戦後まで、日本人は大変な努力を重ねて、世界に列しようとしてきた。そういうことが果たして可能なのか、大阪出身の司馬遼太郎は『坂の上の雲』として明治人のその努力を肯定的に描いた。宝塚育ちの手塚治虫はディズニーの影響を受けながら、日本マンガの神様になった。
数百年から千年の桁にわたって築き上げてきた風俗習慣を、頭で変えようとしてきたのが近代日本である。それが何だかなじめないと思うのは、私だけであろうか。私自身もつまりはその問題に振り回されてきて、間もなく一生を終えるという気がしている。そうした「欧化」というストレスの中で、感じたことを書いた私の『バカの壁』が令和三年十二月には四百五十万部を超えた。「なぜ売れたんですか」と訊かれることがよくある。その答えはこれではないかと思う。日本人なら誰でもこの欧化問題に突き当たって、真摯に対応し、その結果さまざまな苦労をしたはずである。そのストレスから生まれた私の本が一般の読者の共感を生んだのではないだろうか。
話は宿の古さに留まらない。おそらく生活の全体にわたって、日本人として考えなければならないことは山積している。過去を失ったこの社会は、同時に未来を失い、少子化、若者や女性の自殺増という本質的な問題を抱えたまま、新しい時代に入ろうとしている。私自身の寿命はほぼ残っていないが、気になることは多い。
解答はどこにあるのか。私はNPO法人「なんとかなる」の特別顧問である。これまでも世間は「なんとかなって」きたし、これからも「なんとかなる」であろう。そう書いて、無責任に稿を終えるしかない。
●撮影:島崎信一
(『地域人』第78号より)