援助希求を発見する「集いの場」
先日、富士宮市社会福祉協議主催の富士宮市生活支援体制整備事業セミナーで「寺院からはじまる共生の地域づくり~宗派、檀家の垣根を超えたつながりを求めて~」という演題で講演をいたしました。
そこでは、現在、厚生労働省は「住み慣れた地域で、自分らしい人生をまっとうする」をキーワードに、地域包括ケアシステムを推進していること。そして、その実効性を高めるためには、地域社会における支え合い、助け合いの場(=ケアの場)をどれだけ作れるかがポイントであることをお伝えしました。
さまざまな生活課題や生きづらさを抱えた人が少しでも楽になれるよう地域社会には、気づく人がいたり、気づく場があったり、気づくときがあったりする「集いの場」が必要です。そして、地域にはすでに「集いの場」が遍在しています。町内会、PTA、スポーツクラブ、趣味の会など、地縁によって参加するものから、自分の興味関心によって参加するものまでさまざまです。私の立場からすると、ここに寺院も加わるのではないかと期待しています。
しかし、コロナ禍の中で、感染防止のため、密集、密接、密閉は避けるよう推奨されてきました。これまで行われてきた「集いの場」は、人と人との交流がベースにあるため、3密を避けがたいものが多く、中止や自粛を余儀なくされてきました。結果として、援助希求の発見の場や機会が減少し、生活課題を抱えた人たちが孤立するだけでなく、行き場所を失った高齢者のフレイルが悪化することも懸念されています。
ところが、先の見えないコロナ禍に対応して、活動を再開、また新たに展開させた「集いの場」もありました。いずれも、寺院を会場としたものですが、今後の「集いの場」を考えるうえで示唆に富むものです。ここではそのような事例を2つほどご紹介します。
オンラインを活用した集い
東京都葛飾区にある香念寺では、2016年から介護者のためのサロン「介護者の心のやすらぎカフェ」を隔月で開催し、介護中の悩みや経験をお互いに語り合う場を設けてきました。心のやすらぎカフェでは、現在介護にあたっている方から老いや病気に対する不安、すでに介護を終えられた方からの死別の悲しみ、もっと何かしてあげられなかっただろうかという後悔など立場や関係性を超えた様々な話題が上がります。
これまで多くの方のよりどころとなっていただけに、コロナ禍で中断してしまうことは避けたいと、昨年5月からは、ZOOMを利用したオンライン介護者カフェを毎月行っています。オンラインでは新規の参加者は少ないとのことですが、これまでに築いてきたつながりを維持する場になっているようです。一方、インターネット環境が整っていなかったり、パソコン、スマホに不慣れだったり、オンラインの場への参加が難しいという方に対しては、手紙を毎月送り、交流を続けるなど、オンライン、オフラインを併用した細やかな対応をされています。
東京都は新型コロナウイルスの感染者数が多く、報道では連日のように注意が呼びかけられています。また、移動に公共交通機関を利用することが一般的ですので、「集いの場」までの移動自体がリスクととらえられやすいこともあるでしょう。こういった、オンラインツールを使うことで、互いを気づかい、心を寄せる場所を設けることは、コロナ禍における「集いの場」の一つの形といえるのではないでしょうか。
コロナ禍前の「介護者の心のやすらぎカフェ」の様子(香念寺)
コロナ禍でのオンライン介護者カフェの様子(zoomを使用)
地域内でコンパクトに集まる
地方都市ではまた違った「集いの場」が模索されています。それは、参加者、支援者共に地域内に限定することで、対面での集いの場を展開しようとするものです。これは、移動手段が自家用車であることが多い、地方都市での「集いの場」の形といえるかもしれません。
静岡県富士宮市にある来迎寺では“地域内でコンパクトに集まる”方法で、新たに集いの場を開設しました。コロナ禍で地域の集まりが軒並み中止になる中、高齢者をはじめとして、介護に携わる人、子育て世代、悩みを抱えた若者などの居場所がなくなってしまうことを懸念し、富士宮市社会福祉協議会、地域包括支援センターと打ち合わせを進め、2020年9月に第1回来迎寺カフェを開催しました。
第1回目のカフェでは、参加者と一緒に、どんなことをやりたいか、自分はどんなことができるかを出し合うワークショップを行いました。以来、月1回のペースで来迎寺カフェを開催していますが、毎回、この「やりたいこと」「できること」からテーマを決め、自分の趣味や特技を披露したり、他者の趣味や特技から学んだりすることで、参加者同士がともに作る「集いの場」となっています。
さらに、来迎寺では、介護者のためのケアラーズカフェ、ひきこもりの親の会なども開催していますが、いずれも対面で行っています。これも、新型コロナウイルスの感染状況が深刻でない地域で、かつ地域内の移動であればさほどリスクがない地方都市であるからこそ可能な「集いの場」の形といえるでしょう。
ワークショップでは、付箋で「やりたいこと」「できること」を披露しました
来迎寺カフェ フリートークの時間
今回ご紹介したのは、寺院を会場としたコロナ禍での集いの場の実践例ですが、それぞれの取り組みの工夫には学ぶところが多いように思います。地域社会における支え合い、助け合いの場(=ケアの場)が、コロナ禍でどのように維持、継続されていくのか、今後も各所の取り組みを追っていきたいと思います。