世間の変化

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

知り合いに栃木で農業法人を立ち上げた男がいる。地面はいくらでも空いているので、それを借りる。五十歳くらいで、子どもはすでに独立した。もともとは土建会社勤務だったが、虫が好きなので、土建は環境破壊だと勝手に決めて、会社はやめてしまった。

当然だが、農業では食えないという。地元の出身だから、さまざまな伝手(つて)で仕事を探してきて、現金はそれで賄う。会社はいまのところ七人だが、宣伝広告一切せずで、口コミで若者が来る。今年も三人来て、どうしようか、悩んでいる。

講演会で話をすると、あとで質問が出ることがある。
「先生の愛読者で、考え方にも大賛成です。でもそれだと、会社でストレスが多いような気がするんですけど」
それはよくわかりますね。私も大学に勤めている間は、スト レスのかたまりだった。あのままだと、脳卒中か、心筋梗塞ですでに死んでいたと思う。

給料取りが当然になったのは、昭和の御世である。昭和の年代と、給料取りの割合がほぼ一致する。昭和三十年代なら、三割ということになる。就職が会社に勤めることと同義になったのは、ごく近年のことである。近頃の若者は勤めてすぐやめるというが、私にはむしろ当然に聞こえる。給料をもらって、会社に忠誠を尽くすというのは、別に憲法に書いてあるわけではない。

日本の世間はたいへんやかましくて、見えないルールが存在している。敬語が典型である。これがちゃんと使えるためには、暗黙のルールを知らなければならない。
それを身に付けさせるのは、一つは学校であり、次は会社である。ただそのルールが必ずしも明示的ではない。だから具体的な局面で辛抱しながらそれを覚えるしかない。それで会社勤め、ということになる。

ほとんどの時間を田畑で作物や地面相手に活動していると、人間関係のルールを覚える機会が少なくなる。おそらくそれを田舎と表現したのだろうと思う。

子どもの頃から、あまり他人に接する機会がない。そういう状況を考えると、朝からテレビを見ている生活とは、まったく違うはずである。だから江戸時代の田舎には、鳥寄せの名人がいたのである。人語をあまり聞く時間がない。ということは、風の音、水の音、鳥の鳴き声などを聞く時間がほとんどだったに違いない。それだと絶対音感が残る。音の高さがわかってしまうと、言葉の理解には逆に都合が悪い。高さが違えば、違う音だからである。都会と田舎は、その意味で言えば、脳に関して違う人を生んだのである。

ともあれ、すべての人が会社や官庁勤務に向いているわけで はない。それはわかりきったことであろう。百五十年さかのぼったら、給料取りなんて、侍以外にはいなかった。その侍も人口の1%くらいであろう。その常識を日本人全体に及ぼすわけにもいかない。

そう考えると、現代日本は相変わらず過渡期である。SNS が普及した社会で、日常の生活様式がどう変化するか、これは人類規模の実験である。先端である都会がどんどん変化する中で、取り残された田舎があるかというと、SNSの普及がそれをある面で消してしまった。

行政は自治体を地図で区切る。しかし情報という面からすると、これは必ずしも適切ではない。SNSは地理に無関係だからである。交通機関の発達は地域間の時間距離を変えた。SNSはそれをほとんど超越してしまう。

私は八十歳を超えたから、もう余生があまり残っていない。 世の中がどう変わるか、若い頃とは違って、その中で活躍しようという欲はない。変化を見るのが楽しみと言えば楽しみ、どうでもいいと言えば、どうでもいいのである。

鎌倉・建長寺の虫塚で。 (撮影:島㟢信一)

2018.09.01