備えていますか?災害時のトイレ

著者
大正大学地域創生学部 教授
岡山 朋子

はじめに

私は、廃棄物管理、ごみの3Rを専門としている研究者である。廃棄物・ごみとは、極限すれば我々が使っているもの全てがいずれなるもの。ごみになったものは、適正に処理されなければ大変な環境問題を引き起こしかねない。
私が研究の対象としている廃棄物の一つに、災害廃棄物がある。災害廃棄物・災害ごみと聞いて、普通に思い浮かべるのは解体がれきや片付けごみではないだろうか。これらの災害廃棄物を被災地から撤去し、処理・処分することなくして被災地の復旧・復興はない。しかし、大規模災害(特に震災)では常に真っ先に起こるにも関わらず、常に発生抑制できないのが「散乱排泄物(トイレパニック)」である。ここでは、能登半島地震の被災地である輪島市と七尾市の避難所で、被災者がどのようなトイレ使用・排泄をしていたのかを報告する。それより、災害時の自らの排泄に対して、どのような備えをすれば良いのか提案したい。

能登半島地震被災地の避難所のトイレ

能登半島地震は、2024年元旦の夕方に発生した。津波警報が発令されたことを受け、被災地沿岸部の被災者は発災直後に高台にある小学校などの避難所に避難した。内閣府によれば、1月2日には、石川県内で40,688人が避難所に避難していた。一方、地震によって能登半島全体では最大で約11万戸が断水し、当然ながら避難所においてもトイレの水は流れず、汚物の排水ができなかった。
熊本地震の被災者を対象に調査したところ、地震発生後、3時間以内にトイレに行きたくなった人は39%、6時間以内では34%だった。つまり、6時間以内に73%もの人が排尿あるいは排便を催したということになる。私たちは誰でも、一度催すと長時間我慢できない。つまり、災害時において、トイレの確保とし尿処理は待ったなしであると言える。
能登半島地震の被災地の1月2日夕方時点、すなわち発災後24時間が経過した時点で、単純な言い方をすれば500人避難していた避難所では500人分の排泄物が発生し、トイレが流れないためにトイレ及びその他に排泄物が散乱していたと推察される。排泄物でトイレがてんこ盛りになり、トイレの床、公衆トイレの裏や脇などに排泄物が散乱する状況は、阪神淡路大震災から報告されている。この状況は「トイレパニック」と呼ばれるようになった。そして、その後の大災害のたびに、同じトイレパニックが起こり続けている。
ある七尾市の避難所においては、元旦から1月6日まで、小学校のプールの水を300リットルタンクにポンプで汲んで、その水をトイレに使用した。ただし、そのために2時間ごとの水汲みが必要だった。その6日間、男性の小便は屋外でガードレールに向かってすることとし、室内では男女混合でトイレを使用した。男女の大便および女性の小便の際に発生した使用済みトイレットペーパーは汚物ごみとして集積したが、1月3日より汚物ごみの収集が始まったため、特段問題は起こらなかった。これは、災害時のトイレマネジメントが極めてよくできた避難所例である。
輪島市においては、断水及び下水の不通により、輪島市おいてはそもそも下水に水を一滴も流せない状況が長く続いた。ある輪島市の最大の避難所においては、すべての種類の災害トイレが使用された。特に、便袋に固化剤を入れて用を足した後に可燃ごみとする携帯トイレが、長期間使用された(写真参照)。

その他、仮設トイレ、トイレカー・トレーラートイレなどの災害トイレが使用された。輪島市でも汚物ごみの収集は早くから行われたことは災害時においても非常に良かったと言える。

災害時の自分のトイレを確保する

排泄は、一人ひとりが毎日することであり、誰もそれを止めることができない。私たちは、トイレで用を足すことに慣れすぎて、それができない状況を想像しにくい。しかしながら、トイレの水が1週間流れないという状況を想像してもらいたい。その時、男性は簡易便座に「座って小便」をすることになり、女性もまた肉厚なポリ袋をきちんと結ぶといった、普段のトイレ使用と全くは異なる排泄行動を求められることになる。
では、今後の災害に備えて、私たちはどう備えれば良いだろうか。発災後、3日間は帰宅困難な状況になることも考えられるが、3日後には道路啓開され、汚物ごみの収集も始まると考えられる。したがって、災害時に安心して排出するために、最低限、家庭及び(大正大学を含む)事業者は、人数×5回×3日の携帯トイレの備蓄をしてほしい。さらに、携帯トイレを使う防災訓練をしてみることは災害対応力強化において極めて有効である。

2024.12.02