新潟県南魚沼市の塩沢地区に築200年を超す大きな古民家がある。家の所有者は代々この地域の地主と庄屋を務めてきた江口家である。この家の屋号は「五郎丸」といい、所在する集落の名前も「五郎丸」だ。江口家の先祖江口五郎丸がこの地を開拓し村を興したと伝えられているが、村名(五郎丸村)としての記録が確認できるのは江戸初期に編纂された正保国絵図にまで遡る。まさにこの家は地域住民にとって村の象徴であり、心の拠り所として存在してきたことが窺える。
江口邸は現在一般社団法人愛南魚沼みらい塾(南魚沼市六日町・以下「みらい塾」)が家主の許可を得て管理しており、これまでにも南魚沼市内の企業でのインターンシップ「ふるさとワーキングホリデー」のために域外から訪れる大学生たちの研修施設として活用されてきた。みらい塾ではこの他にも大正大学を始めとする実習や企業研修の受け入れ、地元の中~高生を対象とした学びの場「YouKeyプロジェクト」など、地域資源を活用した実践的な教育事業を展開してきており、江口邸は同法人による2つ目の活動拠点として整備を進めているもので、今回のリノベーションを経て2025年には正式な宿泊・研修施設としての利用を開始する予定となっている。
江口邸は2階建てで、和室11部屋、洋室1部屋、台所、浴室、男女別トイレ、納屋の他に、渡り廊下でつながる離れの土蔵が1棟と車庫がある。今回のプロジェクトでは主に客室となる2階の4部屋を対象に、アートワークを用いたリノベーションを行う。これまでに新潟市在住のアーティスト乙川千香氏が率いる任意団体「ゆるアート部」が4回に渡るアート合宿(計14日間)をかけて作業し、地元南魚沼市の住民を含む老若男女による共同作業を通して制作を進めてきた。因みにこのプロジェクトには管理者であるみらい塾の他、新潟市のNPO法人まちづくり学校も協力をしている。ゆるアート部の活動コンセプトは「アートの力で地域づくりに貢献する」であり、このプロジェクトでは五郎丸の江口邸を集落内外の住民が集う地域づくりの拠点として愛される空間の創造を目的とし、乙川氏を始め参加者は全て無償で作業を行っている。
2024年の10月に筆者のゼミの学生が家のオーナーである江口哲也氏にヒアリングをさせていただく機会があった。江口氏は東京在住であり、両親や兄が亡くなった後は時々南魚沼に通いながら家を管理していたが、築年数の古さや屋敷の大きさ、さらには豪雪地であることからメンテナンスには大きなコストと労力を要し限界を感じていた。取り壊しも止む無し、と考えていたが、200年以上に渉り地域の人々と親しく交流してきた家を壊すのは忍びなく、そんな折、みらい塾から人材育成の拠点として再利用する提案があり、地域のためになるならと快諾した。
4回のアート合宿を通して参加者はのべ87人に上り、その内30人は地元南魚沼市の住民、20人は中学生以下の子ども、17人が高校生・大学生(大正大生8人を含む)だった。
アートリノベーションを行った4つの部屋の制作コンセプトは以下の通りである。
「蓮」 魚沼の地名になっている「沼」のイメージをモネの有名な絵画のテイストで表現。
レトロな建具の雰囲気も活かして場の履歴と重ねた。
「雪山」南魚沼の霊峰八海山の神々しい冬の姿を表現。
塩沢の織物を象徴する着物の柄を四方に配して、白塗りの楓や襖絵で幽玄な空気を演出。
「清流」魚沼を潤す命の川である魚野川をメルヘンチックに表現。
古い箪笥の引き出しは書棚として使い、絵本などを並べて童話の世界で読書を楽しめる空間に。
「稲穂」米どころ南魚沼の豊かな実りを象徴する黄金色の穂に囲まれた田園風景を抽象的に表現。
「蓮」の間
「雪山」の間
何れも地域の資源をモチーフとして中心に据えたデザインとなっており、造形のプロもアマチュアも一緒に制作ができるように作業工程が工夫されている。
4回目のアート合宿の期間中である5月4日に地域住民を招いたお披露目会を行い、訪れた住民と参加者で座談会(お茶会)を行った。そこでは「歴史ある建物を新しいアイディアで有効活用してほしい」「地域の風景をアートで表現できるのがよい」「来訪者と住民が交流する機会があるとよい」「移住希望者を発掘し、さらなる空き家の活用につなげたい」などの意見が挙がった。
今後、江口邸は「雪国ワーキングホリデー」を中心に内外の若者たちが地域に学ぶ拠点として本格的な運用が始まる。同事業はこれまでに3年間で18回開催され、延べ約170人が参加してきた大人気プログラムだ。今後はそこにリノベーションを終えた江口邸が南魚沼の新たな魅力として加わり、さらなる活況を生むことに期待したい。
正面階段の続き絵