「過疎」発祥のまちへ移住して気づいた「幸せのものさし」
私は山口県のとある田舎町で生まれ育ち、スマートフォンやSNSが普及しはじめたころに高校生活を過ごしました。当時の私がTwitter(現在はX)で目にしていたのは、東京や大阪に住む同年代の中高生が、放課後に私の地元にはないカフェやテーマパークで遊ぶ姿。「なんで都会で当たり前にあるものが、自分の地元にはないのだろう」。当時の私にとって「幸せのものさし」は、遊ぶことのできるお店の数でした。そのため高校卒業後、迷わず東京の大学へ進学しました。
「都会にはあらゆるものがそろっている。だから都会での暮らしは、みんなにとって幸せな暮らしのはずだ」。東京へ行く前の私はそう思っていました。もちろん東京での暮らしは楽しかったです。ただ東京においても、人生に悩んでいる人や表情の暗い人、心の病を抱えている人に出会う機会が多々ありました。私の知り合いの中でも、同じように田舎町から東京へ出てきた人が多くいましたが、思っていた生活とは違い、そのギャップに悩み苦しんでいる人もいました。「都会での暮らしは、みんなにとって幸せな暮らしのはずだ」。東京へ出る前の私の考えは打ち砕かれました。都会にも、田舎にも、みんなにとって幸せな暮らしなんて、ありはしないのだと気づいたのです。
気づいたことは、もう1つありました。東京は何でもそろう楽しい場所だけど、裏を返せば、ものや人で溢れているということです。何でもある環境だからこそ自分に貢献できるなにかを見つけることがむずかしく、人が溢れているからこそ自分がいなくても社会は成立してしまう――。東京ではそのように感じる瞬間がたくさんあるからこそ、社会の中で自分の役割や居場所を見つけられず、悩みや孤独を抱える人が多いのかもしれないと思ったのです。
大学を卒業しそのまま東京で就職した私は、1年間とある地域へ赴任することになりました。その地域とは「過疎」という言葉が発祥した地とも言われる島根県益田市。当時の私は正直、島根県へ移住することにポジティブな心情にはなれず……。しかし、この益田での経験が、私の価値観、人生を大きく変えることになりました。
益田で働くために、まずは住む場所を探さなければいけません。しかしアパートは市内の限られたエリアに集中しており、住まい探しに苦労しました。そんなときに知り合った益田の方が町内のいろんな人に声をかけ、私のために空き家を見つけてくださったのです。それも見つかったのは一軒家。家賃は都会の感覚で月に10万円くらいかと思っていたら「なに言ってんの檜垣くん。住んでもらえるだけでありがたいんだから、いいよいいよ」と……。初めて空き家を借りるという体験をしましたが、周りを見渡しても家賃は平均で2万円ほど、5000円で貸してもらっている知り合いもたくさんいます。都会と田舎では金銭感覚が全然違うことを実感しました。
それから益田での暮らしをはじめると、地域の方々が歓迎会を開いてくださいました。生まれてはじめて、野菜のおすそ分けを頂きました。子どもが生まれてからは84枚入りのおむつパックを3袋も頂いたり、かと思えば別日には別の方からおしり拭きを2400枚も頂いたり……。秋に開催される町の文化祭では、私の子どもの成長を記録した展示物をつくっていただきました。
地域住民との懇親会の様子
そんな暮らしをつづけるなかで私が学んだこと。その1つは「自分の『幸せのものさし』が増えた」ということでした。たしかに田舎には娯楽が少ないです。しかし人とのつながりの中で暮らせる喜びがありました。お店の数だけではなく、気軽に話せる人の数という、高校生のころの私が持ち合わせていなかった「幸せのものさし」が増えたのです。
近年の社会学の研究で、これまで偏差値や仕事の成果といったものさしで評価される競争社会を生きてきた60代前後の人々には、家族のほかにも自分を受け入れてくれる地域の人がいる環境、言うなれば「ふるさと」があったが、現代では若い世代の人ほど地域とのつながりが疎遠になり、ふるさとが喪失しつつあると論じられています。
また現代では自分にとってハズレな両親を引いてしまったことを揶揄する「親ガチャ」という言葉も生まれています。どんな人でも、ときに家族とぶつかってしまうことはあるでしょう。そんなとき家族以外の人々からの愛を感じられる「ふるさと」があれば、親ガチャという言葉が生まれる社会を少しだけ変えられるかもしれません。
田舎は都会と比べて人の数、とくに若者の数が少なくなっています。だからこそ田舎は若い人が大切にされる、何かができなくても自分に価値があると感じやすいのかもしれません。
仕事と家庭以外に、居場所・活躍機会があること。
もう1つ益田で学んだのは「遊び」の考え方です。高校生のころの私が感じていたように、田舎は都会と比べてお店の数が少ないです。もちろん休日に遊ぶところも少ないでしょう。しかし益田に移住してから、週末に暇を感じたことはほとんどありません。文化祭や運動会、市民劇やお祭り、益田市の伝統芸能・石見神楽の発表会など――。毎週、地域の中でさまざまなイベントがあるからです。
過去の私にとって「遊ぶ」ことは、お店でお金を払うといった消費的なものでした。しかしお店の少ない益田では消費的な遊びと異なるもの、自分たちで娯楽をつくる遊びを学ぶことができたのです。この経験も自分の「幸せのものさし」が変化したきっかけとなりました。
また、この益田での生活を通して、自分の活躍機会は必ずしも仕事だけではなく、地域活動・伝統芸能・趣味・家庭など、いろんな時間があることを教えてもらいました。
地域住民が愛してやまない、伝統芸能「石見神楽」
終戦後の日本では物質的な豊かさの追求を国の第一目標に掲げられ、都市部への人口一極集中や終身雇用制度、仕事を中心としたキャリア設計が当たり前となっていました。しかし、物質的な豊かさが実現された現代の日本において、仕事中心のキャリア設計から、ワークライフバランスやwell-being(ウェルビーイング)の考え方が、唱えられるようになってきました。現に2023年の所信表明演説では、経済成長と並び「well-being」が掲げられています(参考:首相官邸ホームページ,“第二百十二回国会における岸田内閣総理大臣所信表明演説”,2023-10-23)。
益田市には先ほど挙げた方々のように、地域内で楽しむイベントの設計・準備に時間をつかい、創意工夫しながら暮らしを楽しむ人が多くいます。ちなみに島根県民の仕事に費やす労働時間の短さは全国4位という統計結果が出ています。仕事以外の時間を楽しむロールモデルが多く、相対的に見て労働時間の短い島根県。この地で私は今まで多くの日本人が歩んできたものとは異なるキャリアを見てきました。
現代社会を豊かに生きるための秘訣「ライフキャリア」の考え方
私は、この益田市での生活を通して「ライフキャリア」と言う概念を再定義して、提唱しています。ライフキャリアとは、この図のように「暮らしの多様性」と「幸せのものさし」を合わせて構成されます。
私が益田で気づいたのは、物質的な豊かさといったものさしだけでは測れない豊かさがあるということ。お店の数だけでなく、気軽に話せる人の数が幸せのものさしになること。遊びは自分たちでつくれるということ。人の居場所・活躍機会は、職場と家庭以外にもあるということ――。もちろん益田での暮らしはどんな人でも幸せになれるものではなく、私のライフキャリアに合った暮らしだったという大前提があります。
「自分の豊かさを図る『幸せのものさし』は何なのか」。それは競争社会や自分の価値を高められる機会の数、はたまた住む地域にあるお店の数かもしれません。ただ、それらとは異なる何かが幸せのものさしになることも大いにあります。生き方に正解のない21世紀。あなたは、どのようなライフキャリアをデザインしますか?