都市と地方の間に人的好循環を

著者
大正大学地域構想研究所最高顧問
鎌田 薫

23区内の大学受験者数は減少

令和2年春の大学入試においては、東京23区内の大学の受験生は幾つかの例外を除いて軒並み減少し、地方に所在する大学の受験生は増加した。その理由は、一般的には、来年1月から、大学入試センター試験に代わって大学入学共通テストが導入されることにより大学入試のあり方が大きく変わることなどから、受験生の安全志向が強まったことによるといわれている。これに加えて、ここ数年来の大学入学定員規制強化策によって定員超過率の高かった人気大学ほど実入学者数を大きく減少させたことが、その周辺にある大学の入試難易度を上げてきたことも相当の影響を与えていると思われる。

さらに、23区内の大学の学部新設や入学定員増が原則として禁止されたことも、受験生心理に一定の影響を与えているのかもしれない。大学受験関係者の間には、かつて工場等制限法によって23区内の大学等の教室増設が厳しく規制された時代に、規制区域内の大学への入学競争を激化させ偏差値を急上昇させたという記憶があるようである(なお、工場等制限法は「イノベーション促進のための産学官連携や社会人への職業訓練、生涯学習機会の提供など、ますます高まっていく大学への多元的ニーズ」の障害となっているとして平成14年に廃止された)。

この23区内の大学の入学定員増を原則禁止するという政策は、地方の高校生が東京の大学に入学すると出身地に帰ってこなくなり、東京一極集中と地方の衰退に拍車をかけるので、これを抑制すべきであるという考え方に基づいて、全国知事会が強くこれを要請したことによって実現したものであるが、現在でも国会審議などで同様の観点から更なる規制強化を訴える意見が述べられている。

大学入学定員規制の実効性は?

歴史を振り返ってみると、実は、同種の提言は古くから繰り返し述べられてきたことが分かる。たとえば、明治40年に早稲田大学初代学長に就任することになる高田早苗は、明治24年に、「知識の中央首府に集りて地方の光景日々に寂寥たるに至れるは、中央集権の結果固より已を得ずと雖も、この分にて打捨て置かば、日本という国家脳充血となること受合なり」と述べて、東京専門学校(明治35年に早稲田大学と改称)の卒業生たちに地方の振興に尽力すべきことを訴えている。

そこで語られていることから読み取れるのは、第1に、当時は在学生の75%程度が地方出身者であり、また地方の政財界・言論界で活躍する人材の育成を校是としていた東京専門学校でさえ、創立10年目にして既にこうした訓示を繰り返し発しなければならない状況だったことであり、第2には、若者が中央に集まるのは、彼が語るように、近代化=資本主義化に伴って経済・政治・社会の中心が農村から都市へ移動したことによって人口の東京集中が起きたことによる(たとえば、明治17年には大阪府163万人、新潟県158万人、東京都115万人であった人口が、明治31年には大阪府149万人、新潟県171万人、東京都188万人に変化している)。

このように、人口移動は社会・経済的状況を反映しているのであって、大学の入学定員を抑制してみても、タワーマンションや大規模オフィスビルが都心に続々と建てられている現状の下では、地方から都心への若者の流入の時期が大学入学時から大学卒業後に後倒しすることになるかもしれないが、東京一極集中の流れは止められないように思う。

海外に移転した生産拠点を国内に回帰させたり、国内企業の管理部門の地方移転を促進したりすることで地方に魅力ある職場を創ること、また、地方の優れた環境を活かして魅力ある全寮制のリベラルアーツ・カレッジを地方に創るなど、大学が都市の若者を地方に引きつける拠点になることを目指さなければ地方活性化の動きは本格化しないだろう。

また、地方の若者が地方に止まって伝統を墨守しているだけでは新しい発想は湧いてこないだろう。これまでの成功例を見ても、大都市や海外での就学経験・就労経験を通じて逆に地方の魅力を発見した人々が地方に新風を吹き込んで新たな活力を生んできた例は枚挙に暇がない。諸外国の歴史を見ても、都市人口を地方に強制移住させたり、地方人の都市への移転を禁止したりする政策は幾度となく試みられてきたが、その成功例を見出すことは難しい。そうした意味で、地方から大都市へ、大都市から地方へと不断の人的好循環を創り出すことが、国全体の均衡ある発展を実現する上で最も効果的ではないかと愚考する次第である。

2020.07.15