実体験で考える首都機能移転

著者
大正大学地域構想研究所 客員教授
小峰 隆夫

私は、2001年から2002年にかけて、国土交通省の国土計画局長(現、国土政策局長)を務めた。この時改めて感じたことは、東京一極集中の是正という掛け声は出ても、実効ある政策を進めることは難しいということだ。具体的には当時、東京一極集中是正について、三つの方策が進められていた。
第1は、首都機能の移転だ。首都機能移転は、国会、政府などの機能を別の地域に移転するというもので、1992年には「国会等の移転に関する法律」が成立している。これを受けて、国土計画局には首都機能移転企画課という組織もあった(現在はない)。99年には、3地域を候補地として選定するところまで進んでいたのだが、私の局長在任中は、首都機能移転は明らかに下火となっており、誰も本気で移転を考えないような雰囲気になっていた。バブル崩壊後に経済の低迷する中で、財政的にも精神的にも、首都機能移転のような巨大プロジェクトを進めるだけの力は沸いてこなかったのだろう。
第2は、工場等制限法である。これは、1959年に制定された法律で、大都市中心部への産業、人口の集中を防止するため、東京都区部などの制限地域では、一定規模以上の工場や大学の新増設を禁止するというものだった。
しかし、私が赴任した頃には、この法律の見直しを求める意見が各方面から相次いでいた。これにはそれなりの理由があった。分かりやすい例として大学の場合を考えてみよう。当時はこの法律があるため、都心の大学は、新設の学部は郊外に設置せざるを得なくなった。これが教職員にも学生にも評判が悪かった。この点については、私自身の経験がある。私は、2002年に役人を退職した後、法政大学で教鞭を取ることになった。私が所属した社会学部は、この法律の影響で都心(市ヶ谷)から多摩地区に移転していた。多摩のキャンパスは何かと不便だった。まず、学生や教職員が通うのに不便である。私は朝早くマイカーで出勤していたが、1時間半ほどかかった。通うのが大変なので、連続した2日間で授業や会議を済ませるように日程を調整して、学内に1泊することにしたほどだ。
研究活動にも負の影響が大きかった。各種研究会は、都心で開かれるので、郊外からは参加しにくい。マスコミとのコンタクトも取りにくい。私はマスコミのインタビューを受けたりする機会が多く、そうしたマスコミとの交流を通じて最新の問題意識を知ったり、自分自身の考えを整理したりしていたのだが、距離的に離れるとこうした機会が激減した。
学生の視点から見ると、都心の大学に通いたいという学生が集まってくるのは自然であり、それを制限することは学生の希望に反することになる。また、前述のように、研究者が集まることは、知的資源が集積するのと同じことであり、それ自体が知的資源の増進をもたらすことになる。
結局のところ、私の在任中にこの法律は廃止された。廃止に際しても当然国会審議が必要となり、私も関係する部局の責任者として何度か国会答弁をする機会があった。
第3は、国の行政機関等の移転である。これは、1988年に閣議決定された「国の行政機関等の移転について」に基づくもので、国の機関を23区外に移転するというものである。当然ながらどの省庁も、何かと便利な23区内から移転したくなかった。私が赴任した時は、この移転計画が決まってから10年以上が経過していたのだが、移転を嫌がり続けて、まだ移転していない機関がかなりあった。これをなんとか移転するよう働きかけるのが国土計画局の仕事であった。
しかし、よく考えてみると、23区から外に出しても、その多くは首都圏内であったから、東京一極集中の是正には役に立たず、該当機関に関係する人たちが不便になっただけに終わったように思われる。
その後、2014年には「地方創生1.0」の基本方針である「まち・ひと・しごと創生総合戦略」に基づいて、政府関係機関の地方移転を測ることが決まり、文化庁の京都への移転、消費者庁や総務省統計局の一部の移転(それぞれ徳島県、和歌山県へ)などが決定している 。しかし、これも、政府職員が任期期間中だけ地方部に赴任することも多いと考えられるから、定住人口の移転にはならない可能性が高いし、定住人口が増えたとしてもその効果は限られたものでしかないだろう。
こうして、効果があまり期待できないにも関わらず、東京一極集中是正というと国の行政機関の地方への移転がしばしば登場するのはなぜなのか。私は、それは「他にやることがないから」だと考えている。民間活動を東京圏から追い出すことは極めて難しい。しかし、国自身の活動であれば、「自分で決めればできる」ことである。するとどうしても政策の具体化を図る際に行政機関の移転が盛り込まれるのである。
なお、首都機能との関係では、2025年に新たな動きが生まれている。維新の会はかねてから「副都心構想」を掲げていたのだが、2025年10月に、自由民主党と維新の会との連立政権が誕生したことから、これが俄然現実味を帯びてきている。しかし、これまでのところは、人の流れを大きく変えるような政策手段は含まれておらず、東京への集中を抑制する効果は小さいのではないかと考えられる。
東京一極集中を政策的に是正することは極めて難しい。これが私の実体験から得られた結論である。

2025.12.15