先日、石破総理の所信表明演説(2024年10月)を眺めていたら、次のように述べられていた。「私は、国全体の経済成長のみならず、国民一人当たりGDPの増加と、満足度、幸福度の向上を優先する経済の実現を目標とします。そのために、官民で総合的な『幸福度・満足度』の指標を策定・共有し、一人一人が豊かで幸せな社会の構築を目指します」。ほとんど報道されていないし、話題にもならなかったから、興味を持つ人は少ないだろうが、私はこれを見て、またこの議論が始まったのかと思ったのだった。この演説を受けて、私の幸福度についての考えを紹介しよう。
私の専門は経済学だが、経済学、経済政策の最終的な目標は、国民の幸福度を最大限に引き上げることである。経済政策の目標としては、経済成長、物価の安定、財政の再建、社会保障の充実など多くのものがあるが、いずれも最終的には国民の幸福度を高めようとするものである。これは当然すぎるほど当然のことで、例えば、財政再建を追求した結果、増税路線を歩んで、国民が不幸せになるのであれば、そもそも財政再建を追求するのが間違いだったということになる。増税を通じて財政再建せよと主張する経済学者は(私もそうだが)、当面は増税で国民は苦しいかもしれないが、現在の財政を放置していると、国民はより大きな苦痛を味わうことになる。だから長い目で見て、財政再建は国民の幸福度を高めるのだと考えているはずだ。
このように考えてくると、演説で言うような「満足度、幸福度の向上を優先する経済の実現を目標とします」ということは、当然すぎるほど当然のことであり「言わずもがな」という感じがする。しかし、そこまで考える人は少ないだろうから、この点を強調するのは悪いことではない。
私が「またか」と思ったのは、既に2009年に発足した鳩山内閣の時に、この幸福度が大きく取り上げられたことがあるからだ。鳩山内閣は、2009年12月に「新成長戦略(基本方針)」なるものを閣議決定したのだが、この中で次のように述べている。「数値としての経済成長率や量的拡大を追い求める従来型の成長戦略とは一線を画した。生活者が本質的に求めているのは『幸福度』の向上であり、それを支える経済・社会の活力である。こうした観点から、国民の『幸福度』を示す新たな指標を開発し、その向上に向けた取組を行う」
石破総理の所信表明は、経済成長と幸福度を並列させ「両方とも大事」という書き方になっているのだが、この鳩山内閣の方針は、GDP成長率に変わって幸福度指標を経済政策の新目標にするかのような勢いである。これはどうやら鳩山総理の持論だったようだ。鳩山総理は2019年1月の施政方針演説で、「経済のしもべとして人間が存在するのではなく、人間の幸福を実現するための経済を作り上げるというのがこの内閣の使命です」と述べているのだ。
当時私は「これは困ったことになった」と思ったものだ。経済が人間の幸福を目指すことは正しい。しかし、だからといってGDPではなく幸福度を指標にして経済政策を運営するというのは論理がかなり飛躍している。簡単に言うと、幸福度については、①どうやって幸福度の指標を開発するのか、②その幸福度を高める政策をどうやって見定めるのか、③そもそもGDPは経済活動の姿を明らかにするもので、幸福度を示すものではないのだから、GDPに代えて幸福度指標という議論はお門違い等の疑問があった。
中でも、当時私が感じた最大の疑問は、人々の幸福が重要だからといって、政府がそれに介入するのは避けるべきではないかということだった。幸福度を政策の目標にすると、「どんな状態が幸福なのか」を政府が決める必要がある。しかし、幸福の定義は国民一人ひとりで異なっている。人々は自らの価値観に基づいて、自分なりの幸福を追求しているのだから、幸福を定義することは不可能だ。
その後、私にとっては幸いなことに、鳩山内閣以後、幸福度への熱意は次第に薄れ、野田内閣の成長戦略では、本文中から幸福度についての記述は消えている。ただ、この幸福度騒動にも良いことがあった。それは、政府が本格的な幸福度についての調査・分析を行うようになったことである。以下、半分は私の想像を交えて説明すると次のようになる。
鳩山総理の幸福度へのこだわりを受けて、政府は、私と同じように「そうは言っても、GDPに代わる指標なんてできるはずがない」「GDPを経済政策の議論から外すわけにはいかない」などと考えた。しかし、総理の指示だから無視するわけには行かない。そこで、「まずは幸福度について詳しく調査しましょう」という時間稼ぎ戦略で臨むことにした。では、その調査はどこがやるのか。政府内を見渡してみると、内閣府の経済社会総合研究所が適任だ(ちなみに、私はこの研究所の前身の研究所の所長を務めたことがある)。そこで、同研究所が幸福度の研究を始めることになり、総理の肝いりということもあって、予算も沢山付いた。
こうして同研究所で幸福度の研究が始まり、大規模な調査も実施された。その成果は順次発表されており、実は現時点においても毎年調査結果が発表され続けている。その意味では、石破総理の言うような「国民の『幸福度』を示す新たな指標を開発する」ということは既に行われているのであり、その経年変化も明らかになっている。
この小論を書くに当たり、私もこれらの調査報告に目を通してみたのだが、なかなか興味深いことが明らかになっている。今回は紙数が尽きたので、その内容については次回ご紹介することにしよう。
幸福度について考える(上)
2025.04.15