人口の地域間移動を経済学で考える

著者
大正大学地域構想研究所 客員教授
小峰 隆夫

どんな分野にせよ、時間をかけて専門的な学問を勉強する意味は何なのだろうかと私は時々考える。
私は、その意味は、その分野を勉強していない人には思いつかないような発想で物事を考えたり、その分野を勉強して始めて「なるほどそうだったのか」と思えることに出会うといったことにあるのではないかと考えている。もしある学問分野を勉強しても、勉強していない人と同じような発想しかできないのであれば、そもそもそれを学ぶ意味がないように思われるのだ。

私の場合は「経済学」を専門的に勉強してきた。大学の経済学部で経済学の基礎を学び、卒業後は経済企画庁(現内閣府)で経済分析、経済政策の調整の仕事をした。役人をやめた後は大学で教鞭をとり、経済学を教えるようになった。この間、一貫して経済学を学び、それを現実の経済社会の諸問題に適用しようとしてきた。その間いろいろな面で「経済学ならではの発想」があると感じてきた。その一例として、以下では人口の地域間移動を取り上げてみよう。

経済学には「足による投票」という考え方があるので、まずこれについて説明しよう。
経済学は、市場での取引を通じて資源配分が行われると考える。人々が欲しいと思うものは価格が上昇し、それに応じて供給も増える。こうして社会的ニーズの高い分野に資源が配分されていくと考えるのである。

私が大学の学部レベルで教える時には、コンビニで売っているペットボトルの飲み物を例にする。我々がコンビニに行くと、欲しいと思う飲み物がリーズナブルな価格で店頭に並んでいる。これは、誰かが中央集権的にペットボトルの店舗別の量と価格を決めているのではなく、自由な競争の結果自然に決まっているのである。これが価格メカニズムによる資源配分である。
こうして多くの財貨・サービスは、市場を通じた競争が適切な資源配分を実現している。しかし、市場以外の手段で資源配分を変える場合もある。それが「ヴォイス(voice=声を上げる)」と「エグジット(exit=退出する)」だ。

例えば、大学の食堂が提供する食事が美味しくないとしよう。学生諸君がこれを改善するためには二つのやり方がある。
一つは、食堂の責任者に「料理が不味い」と文句を言うことであり、これが「ヴォイス」だ。もう一つは、その食堂に行くのを止めることである。学生が食堂を利用しなくなると、大学側も驚いてその理由を調べて改善を図るだろう。これが「エグジット」である。
地域間の人口移動はこの「エグジット」に相当すると考えることができる。人々はより良い教育機会、就業機会、生活の質を求めて地域間を移動する。すると、転入者が多い地域は、その地域の魅力が大きいから人が集まり、転出者が多い地域は、教育機会、就業機会などが乏しいから人が出ていく(エグジット)のだと考えることができる。これは人々が移動を通じて人気投票をしているようなものなので「足による投票」と呼ばれる。

経済学には「顕示選好(revealed preference)」という考え方もある。人々の選考はわざわざ測定しなくても、人々の行動に現われるという考え方である。例えば、知らない土地でお昼を食べようとした時、どのレストランを選んだらいいか困ってしまう。その場合は、お客さんがたくさん入っている店や行列ができている店を選べば良い。それが人々の選好の結果だからだ。
これは地域ごとの幸福度の議論に応用することができる。それはこういうことだ。しばしば、地域別の住みやすさ、住民の幸福度などを測定しようとする試みがある。関係しそうな指標を合成したり、アンケート調査で住民の意識を聞いたりするのである。しかし、顕示選好の考え方に基づいて考えると、そんな面倒なことをしなくても、人々が集まってくる地域が魅力的で幸せな地域だとも言える。わざわざ人が来るのは、その地域に行った方が幸せになれると考えたからである。エグジットの結果だとも言える。

さて、このような考え方を地域間人口移動に適用してみると、次のようなことが言えそうだ。
一つは、政策的に社会移動をコントロールするのは難しいということだ。人々が社会移動を行うのは、政策的に促されたからではなく、自分が幸せになるためにはその方が良いと考えたからである。こうした自発的な自己の幸せ度(ウェルビーイング)を高めようする動きに政策的に対抗するのは、言うべくして難しいと考えるべきだろう。
もう一つ、足による投票という考え方からは、人々の幸福・福祉水準を高めるには、「人々の地域間人口移動を活発にした方が良い」「特定の地域に人が集まることを無理に抑制する必要はない」という考え方が導かれる。これは政府、各自治体が進めている「社会移動を小さくしよう」「一極集中を是正しよう」という政策方向とは全く逆の考えであり、議論のあるところだが、経済学を学んできた私はそのように考えているのである。

2024.09.17