韓国の低出生率について

著者
大正大学地域構想研究所 客員教授
小峰 隆夫

本年2月のある日、NHKのニュースウォッチ9の担当者から、取材依頼が来た。その日は韓国の出生率が発表されたのだが、そのあまりの低さをニュースで取り上げようということになったのだ。今回はこの韓国の低出生率について考えてみよう。
この時発表された韓国の合計特殊出生率(以下、出生率)は0.72であった。22年の日本の出生率は1.26だから、日本よりかなり低く、世界的に見ても、最も低いグループに入る。その理由としては、①若年層の生活が安定しないため結婚が難しくなっていること、②ソウルへの一極集中で、住宅価格が急騰していること、③男女の役割分担意識が強く、子育ての負担が女性に偏っていることなどが指摘されている。日本でも成立しそうな理由ばかりだ。
私は、2014~15年にかけて、経団連の少子化対策プロジェクトの議論に参加し、そのプロジェクトの一環として、韓国の女子大学で「日本の少子化」について講演したことがある。講演が終わった後、何人かの女子学生と懇談する機会があった。
この懇談で、彼女たちは「日本の状態はまだいい。韓国は本当にひどい状態だ」と口々に訴えたものだ。彼女たちの関心はやはり結婚なのだが、次のような話だった。韓国では、結婚する時には男性が住宅を準備しなければならない。では女性は負担がないかというと、女性の側も男性の両親にかなり高額なプレゼントをしなければならないのだという。
また、彼女たちは大学卒業後、女性としてのキャリアを生かそうと考えているのだが、韓国では依然として「男は外で仕事、女性は家で家事」という男女間の役割分担意識が根強く、女性は仕事と家事の両方を担うことになって負担が大きすぎるということだった。なるほど結婚への道はなかなか険しいのだと実感したものだ。
この経団連プロジェクトの経験と今回の韓国の低出生率のニュースを併せ考え、私は次のように思った。
第1は、日本も韓国が歩んだ道を歩む可能性があるということだ。つまり、日本の出生率もさらに下がる可能性がある。男性が家を準備するという慣行はともかくとして、女性への負担の偏り、男女の役割分担意識などについては、日本と韓国はよく似ている。
このことは、普段あまり意識することのない家族観、結婚観、男女の役割意識などの社会常識が少子化に影響しているということである。さらに難しいのは、こうした社会常識が変わらないままに、望ましいと考える政策を進めると、かえって少子化を促進してしまう可能性があることだ。例えば、日本でも男女共同参画社会の形成という政策が進められている。あまり反対する人はいないだろう。現に女性の社会参画は急速に進んでいる。しかし、この時、「男女の役割分担意識」がそのままの状態で女性の社会参画が進むと、女性はそれまでの家事・育児に加えて社会参画のための努力を強いられるわけだから、女性の負担は増大してしまう。韓国はそんな状況になっているのではないか。
ここで大問題になるのは、仮に上記のような社会常識は時代にそぐわないとして改革しようとしても、改革のための政策手段がないことだ。私から見れば、韓国のように男性が一方的に住宅を準備したり、女性が高額の贈り物をするのはやめて、夫婦共同でローンを組み、無駄な高額支出はやめて、住宅資金に振り向ければいいではないかと思う。しかし、これは価値観に属する問題であり、政府が強制するわけにはいかない。結局、今の若い世代の人たちが「こんな慣行はやめよう」という意識を持ち、自分たちが親の世代になった時に、子供たちにその慣行を押し付けないようにしてもらうしかない。要するに世代の交代を待つしかないということかもしれない。
第2は、韓国はこれまで少子化対策のために巨額の予算をつぎ込んできたということだ。韓国政府は2006年から22年までに332兆ウォン(約37兆円)もの資金を少子化対策のために注ぎ込んできた。その内容は、児童手当や多子世帯への補助金、不妊治療への保険適用など多岐にわたる。
ここで、2015年の経団連プロジェクトに戻るのだが、このプロジェクトの報告書では、1章を使って韓国の手厚い少子化対策について紹介している。つまり、この時、韓国は日本のお手本だと考えられていたのだ。韓国の例を引いて、日本も韓国に負けないように少子化対策に力を入れるべきだと主張していたのである。しかし、韓国の出生率は回復しなかった。このことは、巨額の予算を使っても少子化を止めることは難しいということを示している。
大問題なのは、日本はこれから韓国並みの少子化対策を実行しようとしていることだ。政府は23年12月に「子ども未来戦略」を閣議決定した。この戦略に沿って、児童手当の拡充、多子世帯の大学無償化など豊富なメニューが準備されている。予算規模は年間3.6兆円である。政府は、この予算措置により、子供一人当たりの家族関係支出は、OECD(経済開発協力機構)の中でもトップクラスのスウェーデン並みになるとしている。
確かに予算規模はトップクラスになるのだろう。しかし問題はその効果がどの程度あるのかだ。私は、韓国の例を見ても、お金をばらまいても少子化対策としての効果はあまり大きくないのではないかと思っている。やや達観して考えると、「予算を増やせば少子化が止まる」というのは余りにも安易な考えではないか。誰もが「少子化対策に全力を尽くせ」と言う。そうした掛け声に後押しされて予算をどんどん増やしていくと、効果の疑わしい、単にお金を配るだけの政策が増えて行きそうな気がする。とても心配である。

2024.05.15