著者
大正大学地域構想研究所教授
小峰隆夫
新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)への対応については、当初は感染症についての専門家の意見が尊重されてきた。だが、このところ経済学者の発言も目立つようになってきた。
大阪大学大学院経済学研究科教授の大竹文雄先生もそのうちの一人である。今回は、大竹先生の衆議院予算委員会公聴会での発言(2022年2月15日)および、政府の新型インフルエンザ等対策推進会議基本的対処方針分科会での発言(同年3月4日)を元に、私見を加えながら主なポイントを紹介したい。
コロナ政策に欠かせないEBPMに基づく視点
大竹先生の発言からコロナ対応について、私は次のような点が重要なポイントだと考える。
第1は、流行しているコロナ株の特徴、ワクチン接種の進展、医療体制の状況などによって柔軟に対応を変えるべきだということ。
大竹先生は分科会で、まん延防止等重点措置の期間延長提案に反対しているが、その理由の一つに「オミクロン株は重症化リスクが低い」ことを挙げている。重症化リスクは、高齢者と基礎疾患を持つ人にほぼ限られており、ワクチン接種によって、重症化リスクは相当程度低下する。重症化リスクが低ければ、より経済・社会への影響とのバランスに配慮すべきだということになる。
第2は、これまでのコロナ対策が必ずしも効果的ではないということ。
例えば、まん延防止等重点措置では、飲食店の営業時間規制が盛り込まれている。しかし、オミクロン株を中心とする第6波で発生しているクラスターの中心は飲食店ではなく、保育所、学校、職場、高齢者施設などだ。ということは、飲食店の営業時間規制の感染抑制効果は、それ程大きくないのである。
第3は、感染防止のための行動規制が経済・社会へ与える影響がかなり大きいこと。これは、行動制限に伴う経済・社会的影響、外食、旅行産業への影響にとどまらない。
例えば、重症化リスクがほとんどない子どもたちの学校行事や学校生活への制限は、教育面でマイナスの影響が大きい。また、水際対策としての海外からの渡航者の制限は、日本への留学生の来日を阻害し、国際交流にも悪影響を及ぼしている。
こうして指摘してきたことは、この連載でも何度か指摘してきたEBPM(Evidence Based PolicyMaking=証拠に基づく政策立案)をコロナ関連政策にも適用せよということだといえる。
つまり、政策立案に際しては、有効性、コスト、政策実施による諸影響などをできるだけロジカルな説明に即して、データで確かめながら進めていく必要がある。
ただし、データが得られやすい分野と得にくい分野があり注意が必要だ。しばしば、コロナ感染では「新規感染者数」「コロナによる死亡者数」「重症者のベッド使用率」などのデータが示されるが、これらは比較的得られやすいデータである。
一方で、学校の休校が子どもの学力や健康に与える影響、婚姻や出産行動に与える影響などについては、日々データが手に入るわけではない。
するとどうしても、手に入りやすいデータが議論の中心になりやすい点にも注意が必要となる。
経済学手法の「顕示選好」で人命の経済価値を測定
最も得られにくそうなのが、人命の価値についてのデータである。これについては、コロナとの関連でその価値を測定しようという試みがある。
東京大学大学院経済学研究科准教授の仲田泰祐(なかたたいすけ)先生らのグループは、「顕示選好(けんじせんこう)」という経済学の手法を使って人命の経済価値を測定している。
顕示選好は、人々の行動がその対象となっている財貨・サービスの価値を表しているという考え方である。
例えば、AとBという2軒のラーメン店が並んでいるとき、どちらがおいしいかを知るにはどうしたらいいか。食べなくても、行列の多い店の方がおいしいという推定が成り立つ。行列ができるという人々の行動に、ラーメンがおいしいかどうかの結果が反映されているというものだ。
同じような考え方で、一定のモデルをつくり、「コロナ死亡者を1人減少させるためにどの程度の経済的犠牲を払っているか」を計算する。その金額が結果的に人命の価値を表していると考えるのである。
国際比較をすると、日本はほかの先進国に比べて、かなり人命の価値が高い。結果的に日本では1人の命を救うために約20億円分の経済的犠牲を払っている。これは日本の地域別に見ても大きな差があり、島根県は1人当たり約730億円もの経済的犠牲である(下の表参照)。
※上記コメントの「・・・日本が1人当たり約2億3325万円・・」は誤りで、
正しくは「・・・23億2000万円・・・」です。
この解釈はなかなか難しいのだが、仲田先生はこの金額が大きいことは「何事も完璧を求める国民性のせい」なのか、または「感染リスクを減らすことによる社会的犠牲を過小評価しているため」のどちらかではないかと述べている。
経済学の基本は「トレードオフ」だ。ある政策目的を達成しようとすると、別の政策目的を犠牲にしなければならない。コロナへの対応についても、感染予防という政策目的に資源を使うと、社会・経済活動を円滑に動かすという、別の政策目的が犠牲になる。このところ、経済学者の発言が目立ってきたということは、感染予防だけではなく、経済社会面への政策的配慮を強めていくべきだという流れの変化を示している。
(『地域人』第81号掲載)