人はなぜ木造住宅密集地域に住み続けるのか

著者
大正大学地域構想研究所教授
小峰隆夫

2021年の1月、ある経済学者がこの世を去った。上智大学、日本大学で教鞭を取られた山崎福寿先生である。山崎先生は、経済学の考え方に基づいて住宅土地問題を考えてきた方で、私はいつも、その切れ味の良い分析に感銘を受けていた。最近、この山崎先生の追悼文を書く機会があり、改めて先生の論考を読み返してみた。

この機会に、今回は山崎先生の議論を踏まえて、経済学で住宅土地問題に接近するとどんな議論になるのかを紹介したい。取り上げるのは木造住宅密集地域の問題である。以下は、山崎先生の著書『日本の都市のなにが問題か』(NTT出版、2014年)で展開されている議論を著者なりにまとめたものだ。なお、山崎先生と中川雅之両先生の著書『人口減少時代の住宅土地問題』(東洋経済新報社、2020年)の議論も適宜参考にした。

木造住宅密集地域に見る
時間整合的な政策の難しさ

都市に数多く存在する木造住宅密集地域は、地震時などにおいてひとたび火災が発生すると、甚大な被害につながりやすい。これらを安全な地域に改変していくことは都市における大きな課題なのだが、個々人の居住に関わる問題であるだけになかなかうまくいかない。この問題についての議論は多岐にわたるので、以下では『人はなぜ木造住宅密集地域にすみ続けるのか』という問題に絞って考えることにしよう。

経済学は、人々の選択の自由を尊重する。すると、人々が自らの意思で密集市街地に住まないようになってもらうのが最も望ましいことになる。ところが相変わらず人々は密集市街地に住み続ける。これはなぜだろうか。

そもそも、防災対策には「事前の対策」と「事後の対策」がある。将来の災害に備えて、被害をできるだけ少なくするための対策が「事前の対策」であり、災害が発生してしまった後に、地域を復興するのが「事後の対策」である。この事前と事後の対策は相互に関係し合っており、両者が 整合的なものである必要がある。これを経済学では「時間整合的」という。

日本では、災害が起きると、政府は相当のお金をかけて被災地を復興しようとする。すると、多くの人々は、災害があれば、事後的に政府が救済や補償措置を準備してくれるはずだと予想して、災害リスクの高い地域に居住し続ける。つまり、事前と事後の対策が時間整合的でないわけだ。

これを防ぐには、あらかじめ危険な地域を居住禁止地域として指定しておき、それに違反して居住した人々は、仮に災害があっても救済しない方が時間整合的で社会的に望ましいことになる。

読者の方々の中には「なんと非人間的な」と怒る人がいるかもしれない。私もそう思うし、山崎先生もそうしろと言っているわけではない。ただ、人々が木造住宅密集地域に住み続ける背景には、時間整合的な政策を実行することが難しいという理由があることを示しているのである。

経済学から読み解く
建て替えが進まない理由

次にゲーム理論による説明を紹介しよう。ゲームの理論というのは、経済を構成する人が、お互いに相手の出方を予想して、自分の利益を最大化しようとするプロセスを理論化したものである。

下の表を見てほしい。今、2人の地権者AとB がいて、現状維持か建て替えかの選択をするとする。表中の数字は、AとBの選択とそれぞれの利得の組み合わせを示したものだ。左側の数字(赤字)が地権者A、右側(緑字)がBの利得である。 出発点の両者の利得は10 、一方だけ建て替えると両者ともにある程度安全性が高まるので利得は12に増える。両者ともに建て替えれば、安全性がさらに向上するので利得は20に増える。ただし、建て替えには費用が6必要となる。

例えば、地権者Aが現状維持でBだけが建て替えた場合は、Aの利得は12、Bの利得は6となる(12-6)。地権者Aの行動を考えると、Bが現状維持の場合は、Aも現状維持にする方が利得が大きいから、両者現状維持になる。Bが建て替える 場合は、Aは現状維持でもコストゼロで利得を増やせるから、Aは現状維持となる。Bの意思決定についても同じことが言えるから、結果的にAB両者とも現状維持を選択することになる。

もちろん、AとB両者が建て替えるのが最も望ましいが、現実にはなかなかそうならない。もし、Bが建て替えると聞いて、Aも建て替えると決めた後に、Bが建て替えを止めてしまうと、Bだけが得をすることになる。このことは、建て替えを進めるには、地権者相互の信頼関係が重要であることを示している。ここではゲームの参加者が2 人だけだったが、現実にはもっと多くの地権者が 関係してくるので、全員が相互に信頼し合うのは難しい。信頼関係がない場合は、誰にとっても現状維持が望ましいことになり、建て替えが進まない。これがゲームの理論から得られる結論である。

最後に、行動経済学のプロスペクト理論による説明を紹介しよう。これは、人々が利益と損失をどう評価するかについての理論で、要するに、人々は同じ規模の利益と損失では、損失の方を大きく評価するという考え方である。例えば、ダイエットしようと思っていても、つい目の前のケーキを食べてしまうのは、将来の健康という利益よりも、「目の前のケーキを食べられない」という損失を大きく評価するからである。

すると、木造住宅密集地域に住む人々が、建て替えて災害に強い地域をつくろうという提案を受けたとき、将来の安全性という利益の評価は小さく、現実の建て替え費用の方の評価は大きいということになる。その結果、災害は起こらないかもしれないという「いちかばちか」の賭けに出ることになってしまうのである。

以上、木造住宅密集地域になぜ人は住み続けるのかという問題を経済学の考えを使って説明してきた。経済学に基づく議論は他にもたくさんあるが、紙数が尽きたので今回はこの辺にしておこう。

(『地域人』第78号掲載)

2022.07.01