著者
大正大学地域構想研究所教授
小峰隆夫
2014年、増田寛也氏が中心になってまとめた日本創成会議の「ストップ少子化・地方元気戦略」という報告書は、消滅自治体論を展開して大きな話題になった。すなわち、この報告では、独自の地域別将来人口推計に基づいて、若年女性人口が2040年に5割以上減少する市町村を「消滅可能性都市」と位置づけ、その具体的な地域を明示したのである。この時、驚くべきことに、東京23区の中で唯一豊島区だけがその消滅可能性都市に入っていたのである。これに対して豊島区はどう対応したか、また私自身はどう考えたか。
若年女性人口の増加で豊島区は消滅可能性都市を脱した
『中央公論』の本年6月号に、高野之夫豊島区長の「豊島区は消滅可能性都市をどうやって脱却したか」というインタビュー記事が掲載されている。まずは、その概要を紹介しよう。
東京都区部で唯一消滅可能性都市として名指しされた豊島区は、すぐに要因を分析するチームを役所内に立ち上げた。この検討チームは、「若年女性の転入が大幅に減少すること」が消滅可能性の原因と結論付け、その対策を打ち出していく。
具体的には、「子どもと女性にやさしいまちづくり」をスローガンとして、保育所待機児童をゼロとすること、すべての小中学校で夜7時まで学童保育を実施することなどの施策を進めた。
その効果は現われる。まず、2013年に270人だった待機児童は、17年・18年、20年にはゼロを達成した。若年女性人口も増えた。日本創成会議の人口推計では、豊島区の若年女性人口は、2040年までに大幅に減少するとされていたが、実際には14年の4万5520人から18年には4万8055人と増加したのである。
このインタビューの最後に、高野区長は、消滅可能性都市に名指ししてくれたことにむしろ感謝している。この名指しがあったから、大きなピンチをまちづくりの大きなチャンスに変えることができたからである。
豊島区が消滅可能性都市とされた理由は「推計ミス」にあった
次に、豊島区が消滅可能性都市として名指しされた時の私の反応について述べよう。
この点に関して私が当初からおかしいと思っていたのは、「なぜ豊島区が消滅可能性都市になるのか」ということだった。東京23区の中で、ぽつんと一つの区だけが消滅可能になるというのは、感覚的に全く受け入れられなかった。そこで私は、推計の前提から細かく調べてみた。すると次のようなことが分かった。
消滅可能性都市の判定基準となるのは、増田氏らのグループが行った独自の人口推計である。ただし、独自とはいっても、そのベースとなっているのは、2013年の国立社会保障・人口問題研究所(以下、社人研)の地域別人口推計である。
地域別の人口推計で難しいのは、社会移動の将来予測である。そこで社人研の社会移動推計方法を見ると、豊島区については通常と異なる処理が行われていることが分かった。すなわち、推計の基本的な手順としては、2005年から2010年の国勢調査ベースの社会移動を将来にもそのまま使っているのだが、豊島区については、05年から10年の傾向が、1985年から2000年の趨勢から大幅にかい離しているため(社会移動のプラスが多い)、「15年以降は05年以前の趨勢に回帰する」という前提を置いているのだ。
つまり、多くの自治体は2015年以降の推計の前提として、05年から10年の社会移動を使っているのに、豊島区は00年から05年の社会移動を使っているのだ。因みに、この間の社会移動は、05年から10年のものよりずっと小さい。
問題はこの社会移動の前提が正しかったかだ。この点を住民基本台帳ベースの社会移動で見たのが下の図だ。確かに、2005年から2010年にかけてはかなり社会移動が多い。
その後、2010年から2015年にかけては、高水準横ばいという感じであり、05年から10年にかけての社会移動より明らかに多い。つまり、00年から05年の社会移動を前提にしたことが人口の過小推計を招いたのではないかと考えられる。
東京23区の中で、(多分)豊島区だけ異なる前提で人口推計が行われた結果、人口推計が過少になった。やや乱暴に言えば「推計ミス」だ。私は、これが23 区の中で豊島区だけが消滅可能性都市に分類されてしまった原因ではないかと思っている。
私は大正大学での講義の中でも、トピック的にこの問題をしばしば取り上げた。まず講義の冒頭で、「23区の中で、大正大学のある豊島区だけが消滅可能性都市になっている。なぜでしょう?」と問いかける。もちろん誰も答えられない。そこで「では私がこれからその理由を解明してみましょう」といって、推計の前提がおかしいことを説明する。そして「はい、答えが出ました。答えは『計算間違い』です」といって授業を終わる。この問答には、「何事も言われたことをそのまま受け入れてはいけない。どこか変だなと思ったら、原点に戻って調べてみるべきだ」ということを学生諸君に知ってもらう意味があると私は考えていた。
最後に、結論的な感想を述べよう。消滅可能性都市に分類された時、豊島区には二つの道があった。一つは「これは計算の前提がおかしい。正しい前提を置けば豊島区は消滅可能性都市ではない」と反論する道であり、もう一つは、消滅可能性都市という判定を受け入れて、そうならないように力を注ぐという道である。私が区長なら、多分前者の道を選択したような気がする。しかし、豊島区は後者の道を選択した。そして、今回のインタビューを読むと、結果的に豊島区の住民福祉水準は大きく改善したのであり、豊島区が選んだ道は賢明で、正しかったのではないだろうか。
(『地域人』第71号掲載)