お祭り

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

誰にもお祭りの記憶があるのではないか。私は鎌倉生まれ、そのまま鎌倉で育った。大きなお祭りといえば、まず鶴岡八幡宮、秋の例大祭であろう。私が子どもの頃は、素人芝居まであって、菊池寛の「父帰る」を見た覚えがある。外で立ち見だった。母の従兄弟だったが、知り合いが出演するので、姉に連れていかれた。途中で少し雨が降ったという、おぼろげな記憶がある。

大学院生の時には、後にノーベル賞を受賞した大学者を八幡宮に案内した。たまたまお祭りの日で、当時は境内に土俵があって素人相撲をやっていたから、客人夫妻は大変喜んでいた。観光客が増えるにつれて、お祭りは地元民の楽しみから、観光のために変わっていくのかもしれない。

リオのカーニバルには行ったことがない。知人にぜひ行けと勧められた。でも行く気はない。ブラジルは遠いし、小学生の時から、ブラジルには行くまいと決めていた。港からリオの日本大使館に行くまでの間に、網がないから帽子を使って採集したという、虫の標本を見せてもらったからである。ブック型という、蓋と箱の両方に標本を刺すことができて、背が本の装丁だから、閉じると書物に見える箱だった。金ぴかの凄い虫ばかり入っていた。こんな虫が、こんなにたくさんいるところに行ったら、帰ってくるはずがない。子ども心にそう思った。なぜか、移民する気はなかったのである。

お祭りではないけれど、いまは虫供養をやっている。六月四日を虫の日と決めて、鎌倉の建長寺で供養をする。毎回、誰かと一時間ほど対談をし、そのあと虫塚に行き、お坊さんたちにお経を詠んでもらい、参列者がお焼香をする。塚は隈研吾の設計だが、奇抜な形で、子どもがジャングルジムと間違えて登るから、すぐに金属の棒が曲がってしまう。子どもが遊ぶのはいいことだから、補修をするしかない。

言うなれば自分でやっているお祭りみたいなものである。虫好きが集まるから、供養の場で虫を捕まえている不埒者もいる。要するに自前のお祭りである。私の年齢になると、よく墓のことを言われる。これが面倒くさいから、最近は虫塚に入ります、と答えることにしている。自分の墓なんて、自分で考えるのが面倒くさい。先祖代々の墓に入ればいいが、父と母が別な墓に入っているから、両方に義理を立てるのもさらに面倒くさい。本人は死んでいるんだから、墓なんて遺族が勝手にすればいい。私の知ったことではない。

お祭りは好きな人がいて、これは昔からよく知られている。大手を振って酒が飲めるからかもしれないが、世界中にお祭りがあるのだから、ヒトの共同体にはつきものなのであろう。若い時には、あんなもの、いささか馬鹿にしていたが、年齢を経ると寛大になってくる。というより、必要になってくるのかもしれない。騒ぐことはしなくなるけれど、祭りがあった方が、ないより好ましい。

ヒトは理屈だけで生きているわけではない。理屈はつねに感情と相伴う。記憶も同じである。その感情のコントロールは意識的にはむずかしい。学者は感情を抑えて当然だと長年思ってきたが、それは間違いであろう。理屈の裏には強い情動がある。それはむしろ意識の前提だから、意識からは隠されがちなのである。数学の背後には強い情動がある。岡潔(数学者)はそれを言っていたのだと思う。若い時の私は、それを納得していなかった。いまでは逆にわかり過ぎるほどわかる。そういう気がするのである。

 

2020.06.01