精進料理と人工肉

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

精進といえば、お寺さんを連想する。昨年は広島県で、イタリアン精進料理をお寺さんでご馳走になった。なかなか美味だった。料理の質はそれにかけた手間にかなり比例するのではないかといつも思う。

精進料理の未来は人工肉にかかっている。細胞を採って、タンクで培養して増やす。味は良いという。鶏肉については、シンガポールですでに実用化されているという。直感的には気持ちが悪いという人は多いと思うが、私は台湾で養鶏場を歴訪してスンクスという食虫類を取っていたから、あまり抵抗感がない。現在の鶏舎で飼っている鶏のことを考えると、培養肉のほうがずっといい。

昨年も鳥インフルエンザの流行で、大量の鶏が殺処分された。これは同じ環境で多数の鶏を飼うからそうなるので、そういう飼い方になったのは、経済性・合理性を重視したためである。それならいっそのこと、肉ごと完全に人工化してしまったほうがいいかもしれない。細胞を食べてはいけないという規則は、精進料理にもないと思う。ビーガンの人たちがなんというかわからないが、おそらく二派に分かれるのではないか。細胞培養ならいい、肉らしいものはまったく不可。

食肉になっているのは、普通は筋肉細胞であって、培養下で舌とか、心臓とか、育て分ければいいと思う。これはまさしく技術の問題であって、律義に各種の筋細胞を作る必要はない。要は舌筋なり心筋なりと味が同じならいいわけである。

肉をこういうふうに人工化するには、もちろんコストの問題がある。そこは企業家が頑張るはずで、人工化が可能であることがわかれば問題はないと思う。

人工肉ができれば、環境問題、動物愛護の問題に多大の影響がある。もちろん裏もあるはずで、培養器が汚染されたりすると、大問題が起こるにちがいない。こういう未来の趨勢を考えると、田舎に住んで自給自足というのが、いちばん健康そうな選択肢である。日本の場合はとくに人口減が続くと思われるので、土地は空くはずである。日本のことだから、培養器を小規模にして、地ビールみたいな地肉の生産を始めるかもしれない。

ニンジンが一個の細胞から再生することを知ったのは私が大学院生のころだった。トマトの水耕栽培も一時有名になったが、実用化は困難だったらしい。生きものの飼育を人工化するのは難点が多い。大学院生のころに、私は組織培養をやっていたが、当時世界の学会で有名な培養学者が二人いて、いずれも女性だった。研究者が男ばかりだと、育てることに関する情熱が不足するのかもしれない。そのことは以前、『バカの壁』に書いたことがある。特定の種類の細胞だけを増やすというのは、人工環境の中で胎児を育てるのとは違う。胎児の細胞はさまざまに分化していき、互いに協調して一個体を作る。一種類の細胞を増やすのなら、そうした高次の組織化は必要がない。

こうした余計なことを考えずに、おいしいものを、おいしいと思って食べるのがいちばん良い。精進であろうが人工肉であろうが、知ったことではない。生物はすべて細胞からできている。生きものを扱うなら、細胞のレベルまで落として考えるのが王道であろう。

 

●撮影 島﨑信一

(地域人第66号より)

2021.04.01