地域の自然を記録する

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

地域の記録というと、人のこと、人のすることを考えるのが普通だと思う。どういう人がいたとか、どういうお祭りがあったとか。つまり広い意味での人事である。

しかし記録には自然も重要な対象となる。地震や噴火については、古文書の記録が実際に参考にされているのは、周知のとおりである。日本列島は地質的な構造がきわめて特異である。ユーラシア、北米、フィリピン海、太平洋という四つのプレートが合流する地域だからである。とくに糸魚川―静岡構造線は東西の日本を分ける重要な境界で、北米プレートとユーラシアプレートの境であるだけでなく、その南部にフィリピン海プレートがはまり込んできていて、箱根や伊豆。富士山、丹沢山塊などがそこに属している。しかも日本列島が大陸から分かれて成立したとされる二千万年ほど前には、日本列島は現在よりも、細かく分かれた島々で成り立っていた。その影響は一部の昆虫の分布や進化によく表れている。とくに翅を欠き、飛べない型の昆虫は地域的に分化して別種となることが多い。

そうした地域の自然の違いはまだ十分に記録されていない。地域の昆虫目録はあちこちで作られているけれども、なかなか総説にはならない。しかしそうした記録が積み重なってくると、日本列島全体の地史の一部が明確になってくるはずである。

たとえば私は日本国内ではヒゲボソゾウムシというグループを調べている。このグループは翅があって飛ぶことができるが、じつはほとんど移動しないと思われる。紀伊半島ではいくつかの種に分かれるが、その理由がよくわかっていない。私はかつて紀伊半島に火山活動があった時代の名残ではないかと推測している。さらにこの仲間は関東近辺でも分化する。これはフィリピンプレートの活動と関係しているはずである。

こうした事実は、じつは地元の人はほとんど関心を持っていない。そもそも普通の人は虫なんかに関心がないのだから当然である。それでも地域によっては好事家がいて、地域の昆虫目録を作ったりする。私が関係した例では、山梨県道志村の昆虫目録録が今年度に完成した。といってももちろん、完全なものではない。前述のヒゲボソゾウムシもその中に含まれるが、じつはこの地域の種ははっきり同定できない。これから種名を確定する作業をするのである。こうした意味では、自然に関する地域の問題は、むしろほとんどわかっていないと言ってもいい。

生態系という言葉が普及したために、特定の地域の生物相は、一定していると考える人が多い。実際に調べてみると、虫の場合には、年度ごとに変化する可能性も高い。ここ十数年、福島県須賀川市で虫テックワールドという施設の庭の虫を子ともたちに採らせている。その虫の顔ぶれが、年ごとにかなり違っているのである。生態系と言っても、ある地域のすべての生物を完全に調べ上げるようなことができるはずがない。それなら生態系とは、便宜的な概念であって、実態は判然としていない。

こうした経年変化まで含めると、地域の記録の重要性がわかる。ここで論じる誌面はないが、われわれが確実に固定していると考えている対象が、必ずしもそうではないということがわかってきた例はいくつもある。たとえば、喜怒哀楽のような感情は固定したものだと一般には信じられていると思う。しかし実際には、
さまざまな事象が関与する一種の仮事象なのである。地域と自然はこれからの重要な課題の一つであると述べて、今回は終わる。

昨年10月に行われた東京大学ホームカミングデイの特別フォーラムで。
撮影●島﨑信一

2020.02.03