持続可能性

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老孟司

生物多様性や持続可能性という総論には反対はないであろう。こういう言葉自体がいわば反対が出ないように創られている。だから国連や政府官庁の用語にもなる。

それはそれで結構ですな。でも大東亜共栄圏や神国日本、本土決戦や一億玉砕で育てられた世代としては、標語の類はおよそ信用できない。

そもそも、いわゆる環境問題はなぜ起こるのだろうか。ヒトの意識は秩序活動である。つまりランダムには働かない。だからサイコロがあり、ダーツがある。乱数表は機械で作られる。意識にランダム・モードはないからである。

意識が秩序活動だということを認めれば、意識活動に伴って秩序が発生するはずだとわかる。それが文明であり、都市である。ところが秩序を発生させれば、どこかに同量の無秩序が同時に発生する。

脳の中ではその無秩序はおそらく睡眠によって解消される。睡眠時の脳のエネルギー消費と、覚醒時の脳のエネルギー消費はほぼ変わらない。寝ているのは脳にとって「休み」ではない。意識活動で発生した脳内の無秩序の解消である。

脳の中はそれで済む。しかし意識は外部に秩序を発生させる。外部に秩序が生じれば、外部のどこかに同量の無秩序が増えているはずである。それが、文明世界がエネルギーを必要とする理由であろう。石油という高分子を水と炭酸ガスに変えているからである。それをやれば、それまで高分子の中で秩序を保っておとなしくしていた炭素と水素が、炭酸ガスと水になって空中に飛び出す。ランダムに動き出すのである。これが都市文明という外部秩序の代償である。

私が都市文明を疑問視する根本の理由はそこにある。秩序の生成に丸儲けはない。秩序を作った分だけ、どこかに無秩序が発生する。それが環境問題の根本であろう。部屋を掃除すれば、部屋の秩序は高くなる。しかしじつは部屋の無秩序はゴミ箱に引っ越しただけである。そのゴミはいずれ燃やさなくてはならないから、結局は水と炭酸ガス分子が増える。部屋を掃除すると、地球が温暖化して終わるのである。

現代人の仕事とは、要するに意識活動である。それなら無秩序がどんどん増えるに決まっている。とりあえずは、それは目に見えないから、当然のごとく無視される。しかしここまで世界が文明化、つまり意識活動化されれば、それによって生じた無秩序が目に見えてきてしまう。そこで持続可能性が言われるようになったのであろう。

どうすればいいか、とよく訊かれる。この問題を、三十億年以上にわたって、なんとか解決してきたのが生物である。つまり生きものに学ぶしかない。最近では工業製品を全体として生態系のように設計する、という思想が現れてきたようである。

それは当然のことなのだが、それが「常識」に変わるまで、まだ時間がかかるに違いない。

先日、台湾に行った。山の中でフンコロガシが丸い糞玉を転がしていた。驚くほどみごとに丸い。一体ここまで丸くする必要があるのか。そう思いながら、懸命に玉を転がす虫を眺めていた。この糞玉にも数百万年の歴史がある。ここまで丸くなるまでに、なにが起こったのだろうか。

自然界をバカにしてはいけませんね。

●撮影 島﨑信一

2019.09.17