後継ぎ問題

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老孟司

世の中にはどうしようもない問題というのがある。現代の日 本でいえば、まず人口の減少。実際には、人口全体ではなく、十五歳から六十五歳の生産年齢人口の減少である。その根本は少子化で、そのまた根っこは自然離れである。ヒトが自然から離れて、意識の中で暮らすようになった。それを都市といい、文明という。

そこでは子どもが減る。なぜなら子どもは自然に近く、お産や新生児は自然そのままといってもいいからである。ここまで脳の中で暮らすようになった人類にとって、お産なんて、野蛮以外の何物でもない。だから自宅ではなく、病院で産む。要するに生まれること、死ぬことは、自然ではなく、異常である。行きつくところは、コンピュータがヒトに置き換わるという、わけのわからない考え方。

大勢の人を管理するためには、システムが必要である。そのシステムをより合理的、より効率的、より経済的に構築してきたら、結局ヒトは要らないという結論になった。システムがちゃんと動けばいいので、ヒトが減ろうが増えようが、システムにとっては無関係である。

小学校を考えてみよう。少子化で子どもはどんどん減る。だから学校は統廃合される。先生はどうかというと、夏休みにも子どものいない学校に行って働いている。訊くと、忙しくて仕方がないという。にもかかわらず、子どもが減ったから余裕ができた、一人当たり余分に面倒を見ることができる、だから統廃合はやめましょうという声は一切聞こえない。これって、なんですかね。つまり教育制度の維持が根幹なのであって、そのためには合理的、効率的、経済的に学校を運営する。それが目標になっているとしか思えない。肝心の子どもはどこに行ったんですかね。

システムの優先はあらゆるところに出現している。システムは「理性的に」構築されるもので、理性が一切関わらない部分がヒトにあることは、忘れられてしまう。

ヒトはその時々を生きる。子どもである時間も、人生の一部である。しかし現代の教育では、子どもの人生は「将来のため」であって、子どもの人生そのものを生きることだと思われていない。子ども時代を生きることも「ちゃんとした人生の一部である」。それを子どもの「人権」という。

後継者問題は起こるべくして起こった。まず自然離れで、自然に直接に接する仕事から始まった。一次産業である。さらに一次産業に類する仕事のすべてに及んでいる。メディアでいうなら、世間の出来事をニュースとして発掘するのは、いわば一次産業である。ところが実情は、他人が論じたものをまた論じることがほとんどではないか。失言問題はその典型であろう。言葉はせんじ詰めれば、空気の振動に過ぎないのである。

続いて生産年齢人口の減少、システム化による人間関係の希薄化である。子どもが家業を継がないなら、孫にすればいいと論じたことがある。高齢化で引退の時期が延びてしまったからである。これも人類史上、初の出来事である。長生きのし過ぎなんですね。

私もおびただしい昆虫の標本を残したまま、後継者なしで死ぬことになると思う。まあ、時代はしょうがないんですね。

撮影●島﨑信一

2019.07.01