地酒

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老孟司

地酒はうまい。外国に行くと、とくにそう思う。その土地で飲まれている酒を飲めばいいのである。

チェコに行ったときに、なんとかいう食前酒を飲んだ。名前も忘れてしまったが、おいしかった。アメリカには滅多に行かないが、たまたまワシントンに行く機会があって、レストランでバーボンを頼んだ。飲んでびっくりした。おいしかったからである。若い頃、オーストラリアに留学していたときに、よくバーボンを飲んだ。周りが勧めるから、飲むわけだが、べつになんとも思わなかった。なぜワシントンでバーボンがおいしいのかと思って考えたら、地酒じゃないか、ということに思い到った。

酒に限らない。飲み物一般にそうかもしれない。日本の喫茶店では、夏はアイスコーヒーを飲む。そういう習慣だった。夏のパリで、なにか飲もうと思って、考える。まずアイスコーヒーを、と思うのだが、飲みたくない。あんなまずいもの、という気がする。いつも飲んでいたのに、考えただけでまずい。おかしなことだと、自分でも思う。口にも入っていないのに、なぜまずいのか。

それではと考えると、なんとコーラが飲みたい。しょうがないから、コーラを飲んだ。パリでコーラはないだろう。そう思うのだが、飲みたいんだから、仕方がない。以来、夏の欧州ではコーラを飲む癖がついた。

名物にうまいものなし、という。あれはおそらく名物を買って帰って、家で食べるとおいしくないのである。思ったほどにはおいしくない。それもあるだろうと思う。つまり心理的な影響である。期待を裏切るからである。でもそれだけではないと思う。やっぱり地元のものはおいしいのである。

それを決めるのはなにか。無意識を含めた、自分の身体であろう。ある土地に行くと、身体はその土地に適応する。微妙に状態が変化する可能性がある。その状態では、食べ物や飲み物の嗜好が、それに伴って変わるのであろう。これはかなり繊細な感覚だから、明確な変化があるわけではない。なかなか気づかないのである。

病気にもそれがある。以前、喘息の治療には転地が勧められた。場所を変えると、喘息の発作が起こりにくくなる。いまの理屈で言えば、抗原がないんだということになるかもしれない。スギ花粉症なら、杉がなければいいのである。でもそうではなくて、身体が微妙に変化するのであろう。だから、いままでのような、通常の反応をしないのである。

自分は自分だと思う文化では、こういう変化は見過ごされやすい。自分が自分であるなら、それは「同じ自分」である。同じ自分なら、好みも同じだろうという結論になる。でも実際には自分は絶えず変化する。とくに土地を変えると、つまり自然環境が変化すると身体はそれに適応して変わる。思えば、これは当たり前のことではないか。だから移動すると疲れる。私は年中、講演旅行をする。移動すると、疲れるでしょう、と訊かれる。もう慣れてしまっているから、とくに疲れたとは思わない。でも自宅の前の坂を上って気づく。今日は上るのが大変だわ。やっぱり疲れているのである。

 


第5回ともいきフォーラムにて。撮影●坂本禎久

2019.03.15