現代の「苦」を見つめる

著者
大正大学地域構想研究所・BSR推進センター主幹研究員
小川 有閑

個の苦しみから世界を癒す

前回まで、挑戦的萌芽研究「多死社会における仏教者の社会的責任」の紹介をさせていただきましたが、今回はちょっとお休みをさせていただき、つい先日、12月17日、現代社会と仏教の関わりを考える上で重要なワークショップに参加してまいりましたので、その報告と若干の考察をしたいと思います。

そのワークショップは、ジョアン・ハリファックス(Joan Halifax)老師特別セミナー「個の苦しみから世界を癒す~「死にゆく人」に仏教は何ができるのか?~」(日時:2018年12月17日 9:30-13:00、会場:孝道山本仏殿、共催:孝道教団国際仏教交流センター、上智大学グリーフケア研究所、協力:東北大学実践宗教学寄附講座、臨床仏教研究所、Japan Network of Engaged Buddhists)。ハリファックス老師は、アメリカの禅僧でウパーヤ禅センター代表、現代の社会参加仏教(Engaged Buddhism)を代表する人物。医療者・介護者のために瞑想を用いた支援プログラムの開発、医学・心理学へのマインドフルネス瞑想の導入への貢献など、主に医療分野、なかでも終末期医療に深く関わってこられた方です。

今回、スピリチュアルケア師、臨床宗教師、臨床仏教師を育成する各機関(上智大学、東北大学、臨床仏教研究所)の共催・協力という形で、各機関の指導員、受講生などが参加。実際に現場に携わる実践家たちとハリファクスの対話形式のワークショップとなりました。

「苦」はどこに現れ、何が生み出すのか?

ワークショップは、仏教の四諦(苦集滅道)の考え方に沿って、4段階で進められます。まずは、日本において「苦」がどこに表れているかを、参加者が思いつくままに発言します。「教育現場でのいじめ」、「ひきこもり」、「人種差別」、「格差」、「認知機能障害」、「若者の犯罪・排除」、「LGBT」、「原発事故」、「被災地」、「子育て中の母親」、「依存症」、「過疎化・地域格差」、「ブラック企業」、「遺族・遺児」、「現実とネットの二重世界」、「若者へのロールモデルの無さ」、「死の段階での孤独」、「死の受容の困難さ」、「性差による差別・暴力」、「性産業」、「難民」、「障がい者」、「難病」、「看護職のジレンマ」、「精神疾患」、「医療の効率化・人間性無視」、「戦争」など、現代社会の様々な場面が表出されました。

そして、四諦の集の段階、つまり「苦」を生み出すものは何かと深掘りをします。ハリファックス老師は、苦には、①生老病死という一人ひとりが生きる上での根源的苦しみ、②心が作り出す苦しみ、③社会が作り出す苦しみがあると指摘し、ここでは③を考えてみましょうと議論を促します。参加者から出された苦の原因は、次のようなものでした。

「思いを分かってくれる他者の不在」、「弱さを出しにくい社会」、「宗教(者)の不在」、「家庭内の性差・封建制」、「自己実現偏重」、「平和や政治、社会への無関心」、「いのちの実感の欠如」、「過度な緊張状態」、「自己意識のゆがみ」、「効率性重視」、「戦犯意識」、「迷惑をかけることへの嫌悪」、「物質至上主義」、「西洋個人主義」、「恥の意識」、「思いやりの欠如」、「ネガティブなことを隠す傾向」、「社会の二分化(勝ち組・負け組)」、「排除への恐怖」、「有難さの欠如」、「関係性構築の原理の偏り(アビリティ重視)」、「情報過多」、「苦しみを無くそうという拘り」、「過度な資本主義」、「食生活の変化」、「個人主義とムラ意識のいびつな融合」、「他者との違いを受け入れない社会」、「優秀さへの憧れ(その反応としての自己肯定感の低下)」

ハリファックス老師は、道徳を育む上での妥協という問題を提起。それは、モラルインジャリー(moral injury)と呼ばれるもので、自己の価値観を無視して、全体への適合を優先させることによって、自己否定が恥の感覚が強くなり、道徳に不感症・無関心になってしまうことを指すそうです。この問題は依存症を生み出す一因にもなると言います。また、経済バブルの中に身を置き、社会の外にある「苦」や他者の「苦」に目を向けない人が少なくないが、それ自体が「苦」であるとも指摘し、臨床宗教師などケア提供者にとって、道徳の問題は不可避であると話されました。

次回は、その後の議論をご紹介したいと思います。

2018.12.25