森を消す ─ヒトと森の微妙な距離感

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老孟司

ヒトは森から出て、サヴァンナに降りた動物だと言われる。
ヒトにいちばん近い霊長類であるチンパンジーとゴリラは、いまだに熱帯雨林で暮らしている。人類の故郷だとされる東アフリカが気候変動により草原に変わってしまい、やむを得ず森から草原に暮らしを移した、というのである。

この筋書きから、なんとなく納得がいくような気がすることが、いろいろある。ヒトは森は好きだけれど、その中には住まない。ニューヨークのセントラル・パーク、あるいは東京の日比谷公園だってそうである。近くに森がある、森が見える。そういう環境はヒトを癒やすらしい。でも中では暮らさない。ヒトは森とは微妙な距離感を維持しながら暮らすのである。

ヒトは森を草原化する。ニューギニアの上空を飛ぶと、山の上だけが禿げて、草原化している。高地人が住むからであろう。ブータンで山の斜面を見ていると、農家が点在している。間にあるのは森である。農家は畑を作るから、森を切り開くのは当然である。機能的には確かにそうせざるを得ない。でもヒトが森を切り開くのは、森を開くという衝動があるとしか思えない場合が多い。

三月にラオスに行くと、国中が煙い。焼き畑と称して、森を燃やすからである。マダガスカルも関東平野くらいあるんじゃないかという土地を、しかもあちこち、毎年燃やしている。燃やしてしまうと、草原ができる。でも草原が欲しいのではない。ひたすら森を開きたいのである。そうとしか思えない。なぜなら森を燃やした後の土地を使っていないからである。

専門家に聞いてみると、世界中で年間五百万ヘクタールの森林が失われているという。日本全体の森林面積が二千五百万ヘクタールだから、五年間で日本の森が全部ハダカになる計算である。その多くを占めるのは熱帯雨林、とくにアマゾン流域である。

ブラジルは昆虫の持ち出しを禁止している。自然の保護という名目らしいが、自分たちがやっていることを隠す意味があるのではないかと私は疑っている。一人一人が虫を採って歩くなんて行為が、自然を破壊することはない。まったく壊さないとは言わない。でも経済行為と称してヒトがすることに比べたら、ないも同然である。お隣のフレンチ・ギアナは逆手に出て、虫採り大歓迎にしてしまった。だから私の周辺でも、そこに虫採りツアーに行く人が多い。

ヒトは自分のことを知らない。「汝、自らを知れ」という古代の格言は、いまでも十分に通用する。ヒトは森を開こうとする動物だということは、肝に銘じておくべきであろう。理由があろうがなかろうが、森を削ることに関する規制に、もはや待ったはないと私は思っている。石油の限度が明瞭に見える時代がいずれ来る。そのときに必要なものの一つは森だが、それを人類の資産とは思わない人が、いまだに力を持っている。じつは石油もそうだが、自然物は人類の共有財産だという強い認識が必要ではないだろうか。
yorosensei

著者:養老孟司(大正大学地域構想研究所 顧問)

2018.06.18