小学校で、何を学ぶか

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老孟司

小学校で、なにを学ぶか。それは学校の先生に聞くのがいちばんいい。でもたいていの人は、小学校の教科内容なんて、一切気にしていないであろう。

少なくとも私が小学生だった頃、母親は私が学校でなにを習っているか、まったく気にしている様子はなかった。父親は死んでいたし、母親はそのために始めた開業医の仕事で忙しかったから、学校の教育内容なんか、気にする暇はなかったと思う。それに私は小学校二年生で終戦だから、しばらくは食糧難、モノ不足、日常はその対策で大変だったに違いない。

では母親が私の教育自体に無関心だったかというと、そうではない。学校選びは真剣だった。小学校に入る時も、師範学校の付属にするか、ふつうの小学校にするか、私の選択を迫った。戦争中だったというのに、思えば民主的な母親でしたね。付属小学校のほうは志望者が多いから、クジを引く必要がある。そう説明してくれた。とはいえ付属のほうを勧めたいらしいと理解したが、私はクジが嫌いで、ふつうの小学校のほうがいい、と言った。その後、大学院に入る時もクジを引かされた。案の定外れたから、クジのほうからも嫌われているのかもしれない。宝クジもだから買わない。

小学校に入る前に、知的障害を疑って、知能検査にも連れていかれた。その結果、べつに障害ではないとわかって、安心したらしい。今度は家庭教師を付けられた。学校の勉強に追いつくためではない。学校では教えないことを教わるためだった。つまり学校の教科は問題にしていなかったのである。先生は義兄の旧制高校の同級生で、専門は日本史だった。だから漢文の素読をやらされ、まず『十八史略』を読んだ。こんなもの、どうしようもないが、いまだに「帝堯」からはじまる文章を覚えている。「茆茨剪ラズ、土階三等ノミ」。のちに面倒くさい文章 でも辛抱して読むようになったのは、この訓練が役立っている可能性がある。

夏休みにはほぼ毎日、先生の家に通って、五万分の一の地図の等高線に従って厚紙を切り、貼り合わせて立体地図を作った。鎌倉はまもなく完成したので、次は箱根にした。こちらは山ばかりで、あまり面白くなかった記憶がある。縮尺が大きすぎたのだと思う。いまでも地図は好きで、昆虫も国内の地域変異を調べている。この時の影響が残っているのかもしれない。

学ぶ内容はじつは問題ではない。そこからなにを学び、なにを身に付けるか、それは本人次第である。ある物理年齢までに、決められた一定の基準を満たさなければならないというのは、 近代社会の暴政である。その基準が「内容」であるなら、それはまったく無意味である。

教育とは形のことである。内容ではない。だから「型に嵌める」という。親子が似るのは形が似るからである。中身はじつは問題ではない。コップはコップで、中身が水か、酒かは、状況次第に過ぎない。大きな入れ物は、見ようによっては形が見えない。大きすぎるからである。そういう人物を近代の学校が育てるとは到底思えませんね。

2月23日に日経ホールで行われた「人と庭の未来を開く 連続交歓講座」
(日本庭園協会東京都支部主催)で。 撮影●島﨑信一

2020.05.15