縄文時代

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

若いうちは歴史に関心が持てなかった。私が育った時代は「東京裁判史観」が優越していたので、近い過去は思い出したくないものの典型だった。そういう時代に縄文が話題になってきたのは、私自身の記憶では哲学者の梅原猛の著作からだったと記憶している。その後、環境考古学の進展により、文字が書かれる以前の日本列島の自然状況がややはっきりしてくると、昆虫相の地域性という私自身の関心とつながる面が出てきたので、縄文時代にいくか関心が生じてきた。

歴史は書かれた事実に基づく、ということを教えられてきたので、文字以前は考古学の分野になってしまうことになる。そうはいっても、 「書く」以前に「読む」能力が前提されなければならない。ヒトが読むことができるようになったのは、いつごろからであろうか。おそらく人類学でいう現代人、ホモ・サピエンス・サピエンスの時代であろう。 「読んで」世界を解釈する。たとえ文字がなくても、天上界を読めば占星術になるし、冬至や夏至の発見にもつながったに違いない。中国では亀の甲羅の亀裂を「読んだ」らしい。

最近、 縄文時代について、 興味深い本を読んだ。竹倉史人『土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎』 (晶文社)である。現代人はべつに土偶なんか読まなくても、読むものには事欠かない。著者はあえて「土偶を読んだ」わけである。むろんその背景には、長年にわたる土偶の正体に関する疑問がある。

現代社会は「読む」ことについて、きわめて明瞭な言語システムを樹立した。むろん読むことと書くこととは連動しているが、言語が成立してしまうと、そのシステムの中で考えるのが習性となる。そういう人たちが、文字言語のシステムに取り込まれていない人たちの「表現」をどこまで理解できるのか。これは異なる言語の翻訳可能性とはまた違う水準の問題になっている。

話を神経科学にしてみよう。網膜像は網膜内、延髄、視床という介在部を通して第一次視覚野に送られる。ここまでは点から線を作るような比較的較的単純な処理が行われるが、問題は大脳皮質の第一次視覚野である。皮質のこの部分に出入りする神経線維の一割が網膜からの入力とされる。残りの九割は皮質の他の部位との入出力である。ということは、われわれは目というよりも「脳で見ている」というべきなのかもしれない 。

視覚のこの種の詳細がわかれば、土偶が「読める」ようになるかといえば、私自身はかなり懐疑的である。それでも神経科学で考えようというのは、共通のプラットフォームで処理しようというだけのことである。それで問題が簡単になるかというなら、そんな保証はない。かえって面倒になるかもしれない。

『土偶を読む』の竹倉氏は遮光器土偶について、サトイモだと直感する。

 

●撮影:島崎信一

(『地域人』第74号より)

2022.02.01