きれいな水

著者
大正大学地域構想研究所 顧問
養老 孟司

水の問題は現代では過不足であろう。多すぎると洪水、少なすぎると旱魃。
でもそれ以外に大きな問題がある。汚染である。マイクロプラスティックはともかく、水はきわめてよい溶媒だから、多くのものが溶け込んでしまう。

大学院生の時に組織や細胞の培養をしていた。教授の仕事のお手伝いである。私自身はガラス容器の中で組織や細胞を飼うのは性に会わなかった。だから野生動物を調べたいと思っていた。餌と水がかならず与えられており、安全な環境で生まれ育ったいわゆる実験動物は、なんだか動物という気がしなかったのである。

それはともかく、培養をしていると、さまざまな問題が生じる。たとえば細胞がうまく生きてくれない。なにが問題なのか。大学院生くらいのレベルで素朴に考えると、まず思うのは、培地になにか不足していないか、である。でも文献を調べたり、情報を集めてみても、不足なものはないようである。では逆に、余分なもの、つまり不純物が入っていないか。それを調べようとすると、難しいことになる。培養の主成分は水である。それなら水は大丈夫か、ということになるからである。

まず水をきれいにすればいい。蒸留水ならきれいだと思うかもしれないが、話はそう簡単ではない。市販の蒸留水が信用できるかどうか、それがわからない。それなら自分で蒸留するしかない。自分でやってみればわかるが、きれいな蒸留水を作るのは、そう簡単ではない。強火で沸騰させたら、水蒸気だけではなく、小さな水滴が飛ぶ可能性が高い。それでは蒸留の意味がない。

あれこれ試行錯誤して、やっと「きれいな」蒸留水を得ることができるようになった。収量が悪いが、それはやむを得ない。水滴を避けようとして、蒸気の通り道にいわばトラップを挟む。水滴は除かれるが、収量が落ちてしまう。

こうして蒸留した水が本当にきれいかどうか、確かめようとしてハタと困った。どうやって確かめたらいいのか。目的は細胞の培養だから、細胞が無事に育つかどうか、それが水の検定になる。そう考えて、水自体の検査は諦めた。化学者じゃないんだから、水の純度まで調べる暇はない。

結果的には、培養細胞を電子顕微鏡で観察して、問題の答えを得た。水のせいではなくて、マイコプラズマ(細菌)が感染していたのである。しかも細胞をとるのに使っていたニワトリの卵がもともと汚染されていた。いまではもちろん、市販の実験用の卵はマイコプラズマ・フリーになっている。

こういう過程を通じて、しみじみ感じたことがある。まず自分が実験向きでない、ということである。途中の手続きで引っかかって、肝心の目的を忘れそうになる。もう一つは水である。水がきれいでなければいけないのだが、どうなれば「きれい」なのか、いまだにわからない。生物は「汚い」環境に棲んでいるんだなあ。それが「生きる」ということらしい。まことに「水清ければ、魚棲まず」。古人はうまいことを言う。

 

「地域人」第59号掲載

2020.08.03